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And the quality of each person's work will be seen... (1 Corinthians 3-13) |
(略) 題材を現代に選んでいるという大きな ハンディ
前々回 (2012年10月16日付け) の 「反文芸的断章」 で述べましたが、私は、20才以後、髷ものを全然観ていないし、観たいとも思わない。私が好んで観ている テレビ 番組は、「The Mentalist」 と 「LAW&ORDER」 です。いずれも、アメリカ の テレビ 番組ですが、日本で放送されている それらの シリーズ を私はすべて (のめり込んで) 観ています── 一つは、心理捜査官を主役にした推理もので、もう一つは、刑事・判事を主役にした捜査の推理 (detective work)・訴訟論争を扱った ドラマ です。「のめり込んで」 と綴った様に、それらの ドラマ は私の審美感に訴えるのでしょう。いずれの ドラマ も 「証明」 という事を基底にしているので、私がそれらの ドラマ に惹かれるという理由は、きっと、私が仕事の中で体得した精神に合致するのでしょう。小林秀雄氏の様に日本文学を仕事にしている批評家であれば、「日本人の精神」 を じっくりと探究する事ができるのでしょうが、私の様な システム・エンジニア は日本人の精神を語るほどの資料を持ちあわせてはいないので、私の精神を彼の論に照らして眺めるしかない。
小林秀雄氏は、他の著作の中で、いみじくも次の様に述べています──
私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、
彼の意見は、仕事に就いている人たちなら納得できるでしょう [ 仕事を嫌々やっている人たちは論外とします ]。そして、彼は、上に引用した文に引き続いて、次の様にも述べています──
今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲し
一日の時間枠の中で食事・睡眠のための時間を除けば、仕事に従事している時間はそうとうに多いでしょう。しかも、そういう状態が数十年にも及ぶ。そうであれば、仕事の中で、意識的であろうが無意識的であろうが、考えかた・感じかたは影響をうけるでしょう。システム・エンジニア (あるいは、プログラマ) という職で云えば、論証に疎い システム・エンジニア (あるいは、プログラマ) というのは洒落にはなっても、真 (まとも) な話題にはならないでしょう。
私は仕事に疲れたら──仕事の中で論証に集中して疲れたら──、考える反動として、仕事を離れた時に ひたすら考えない様にして、たとえば 「Just For Laughs」 の様な動画 (カナダ の テレビ 番組、hidden camera gags) を ただただ受身で観て笑いに興ずる事もありますが、仕事で一日中考えていたがために興奮醒めやらない時には、頭脳を クールダウン するために、「The Mentalist」 「LAW&ORDER」 の様な推理ものを観て [ それらは作られた ドラマ なので ] 推理の構成や論証の表現を愉しむ事もある。それらの番組は、英語の リズム (テンポ) が心地よいので気に入っているのですが、たとえば ドラマ の終わり近くなって印籠を見せて正体を明かす様な 1時間 ドラマ には私は退屈しか感じない。ただし、念のために断っておきますが、私は 「武士道」 に惹かれているし──「葉隠」 は私の愛読書の一つです──、日本刀・仏像・能面を所持しているので、ドラマ としての髷ものに興味を感じないということ。髷ものに限った事ではなくて、私は日本の現代 ドラマ も一向観ない。Discovery channel、Animal Planet、History channel、National Geographic channel や Super! drama TV の様な番組を日本の放送局はどうして作れないのか? 小林秀雄氏は、「過去に成熟した文化をいくつも持ち、長い歴史を引摺った民族の眼や耳は不思議なものだと思う。僕はこの眼や耳を疑う事が出来ない」 と述べていますが、小林秀雄氏とは反対に、私は現代日本人の 「民族の眼や耳」 を慥 (たし) かに疑っています。
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