anti-daily-life-20121201
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And the quality of each person's work will be seen... (1 Corinthians 3-13)

 



 小林秀雄氏は、「私小説論」 の中で以下の文を綴っています。

    (略) 題材を現代に選んでいるという大きな ハンディ
    キャップ を持ちながら、映画や通俗小説の時代もの髷
    ものが依然として大きな人気を呼んでいる事は、現代人
    のなかに封建的感情の残滓がいかに多いかという証拠
    だが、またこの感情の働くところには、長い文化によって
    育てられた自由な無秩序と浅薄さを看破し、髷ものに
    現れた人々の生活様式や義理人情の形式が自分等から
    遙かに遠いと知りつつ、社会的書き割りのうちに確然と
    位置して、秩序ある感情行為のうちに生活する彼らの姿
    一種の美を感ずる。西洋映画の現代ものが何故日本映画
    の現代ものに比べて、知識階級人等の上に、あのように
    比較にならないような人気を持っているか。根本の理由
    はたった一つしかない。僕らの伝統的な審美感が西洋
    映画の方により純粋な画を感ずるからだ。(略) 過去に
    成熟した文化をいくつも持ち、長い歴史を引摺った民族の
    眼や耳は不思議なものだと思う。僕はこの眼や耳を疑う
    事が出来ない。

 前々回 (2012年10月16日付け) の 「反文芸的断章」 で述べましたが、私は、20才以後、髷ものを全然観ていないし、観たいとも思わない。私が好んで観ている テレビ 番組は、「The Mentalist」 と 「LAW&ORDER」 です。いずれも、アメリカ の テレビ 番組ですが、日本で放送されている それらの シリーズ を私はすべて (のめり込んで) 観ています── 一つは、心理捜査官を主役にした推理もので、もう一つは、刑事・判事を主役にした捜査の推理 (detective work)・訴訟論争を扱った ドラマ です。「のめり込んで」 と綴った様に、それらの ドラマ は私の審美感に訴えるのでしょう。いずれの ドラマ も 「証明」 という事を基底にしているので、私がそれらの ドラマ に惹かれるという理由は、きっと、私が仕事の中で体得した精神に合致するのでしょう。小林秀雄氏の様に日本文学を仕事にしている批評家であれば、「日本人の精神」 を じっくりと探究する事ができるのでしょうが、私の様な システム・エンジニア は日本人の精神を語るほどの資料を持ちあわせてはいないので、私の精神を彼の論に照らして眺めるしかない。

 小林秀雄氏は、他の著作の中で、いみじくも次の様に述べています──

    私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、
    そのなかにだけ、私の考へ方、私の感じ方、要するに
    私の生きる流儀を感得している。かやうな意識が職業に
    対する愛着であります。

 彼の意見は、仕事に就いている人たちなら納得できるでしょう [ 仕事を嫌々やっている人たちは論外とします ]。そして、彼は、上に引用した文に引き続いて、次の様にも述べています──

    今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲し
    みを託して悔いぬ職業を見附ける事が大変困難になつた
    ので、多くの人が職業のなかに人間の目的を発見する事
    を諦めて了つたからです。これは悲しむべき事であります。

 一日の時間枠の中で食事・睡眠のための時間を除けば、仕事に従事している時間はそうとうに多いでしょう。しかも、そういう状態が数十年にも及ぶ。そうであれば、仕事の中で、意識的であろうが無意識的であろうが、考えかた・感じかたは影響をうけるでしょう。システム・エンジニア (あるいは、プログラマ) という職で云えば、論証に疎い システム・エンジニア (あるいは、プログラマ) というのは洒落にはなっても、真 (まとも) な話題にはならないでしょう。

 私は仕事に疲れたら──仕事の中で論証に集中して疲れたら──、考える反動として、仕事を離れた時に ひたすら考えない様にして、たとえば 「Just For Laughs」 の様な動画 (カナダ の テレビ 番組、hidden camera gags) を ただただ受身で観て笑いに興ずる事もありますが、仕事で一日中考えていたがために興奮醒めやらない時には、頭脳を クールダウン するために、「The Mentalist」 「LAW&ORDER」 の様な推理ものを観て [ それらは作られた ドラマ なので ] 推理の構成や論証の表現を愉しむ事もある。それらの番組は、英語の リズム (テンポ) が心地よいので気に入っているのですが、たとえば ドラマ の終わり近くなって印籠を見せて正体を明かす様な 1時間 ドラマ には私は退屈しか感じない。ただし、念のために断っておきますが、私は 「武士道」 に惹かれているし──「葉隠」 は私の愛読書の一つです──、日本刀・仏像・能面を所持しているので、ドラマ としての髷ものに興味を感じないということ。髷ものに限った事ではなくて、私は日本の現代 ドラマ も一向観ない。Discovery channel、Animal Planet、History channel、National Geographic channel や Super! drama TV の様な番組を日本の放送局はどうして作れないのか? 小林秀雄氏は、「過去に成熟した文化をいくつも持ち、長い歴史を引摺った民族の眼や耳は不思議なものだと思う。僕はこの眼や耳を疑う事が出来ない」 と述べていますが、小林秀雄氏とは反対に、私は現代日本人の 「民族の眼や耳」 を慥 (たし) かに疑っています。

 
 (2012年12月 1日)


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