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God revealed his secret plan and made it known to me. (Ephesians 3-3) |
僕は、前に、君が頭で解釈している苦痛ではなく、
小林秀雄氏の本音が生々しく書きなぐられた文だと私は感じました。そして、この文は、私にも深く刺さった。私は、自分の仕事について、この文で綴られている事をそのまま当て嵌める事ができる──「何故君は モデル 論などを仕事にした事を後悔しないのか。君の心が正義に燃えているからか、それとも殉教者の魂とでもいうものを君は持っているからか。あるいは輝かしい希望を抱いているからか」。「輝かしい希望」 など無い事は当初からわかっていた筈だ、モデル 論 「不振の声は、いずれ思いやりのない人々の口から出るのだが、その声は、君が振り返るのを好まないこの君の実際に味わっている苦痛を、そのまま正確になぞった声である事は争われない。君に弁解の余地はないのだ」、それを覚悟で仕事に就いた筈ではなかったのか。果たして、その覚悟は本物だったのか、もしその覚悟が本物であれば、「弱々しい苦笑をするな。君にはまだ意地悪くなる余地は沢山あるのだ。自分に対しても他人に対しても」。私は、自分を悲劇の主人公に仕立てるつもりなど毛頭ないのですが、数学基礎論や哲学を学習して、モデル 原論を探究しても金銭的に酬われる訳じゃないし、衆望を得られる (俗 ウケ する) 訳でもない──それは自分との戦いなのです。そういう事を好む性質になった事を私は呪う他ない。小林秀雄氏の云う 「意地悪くなる」 という意味は、「無愛想、無慈悲、刺々しい」 という性質だと思っていいでしょう、即ち、他人に──そして、自分自身に──阿付する (諂う) な、と。
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