anti-daily-life-20130223
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God revealed his secret plan and made it known to me. (Ephesians 3-3)

 



 小林秀雄氏は、「新人 X へ」 の中で以下の文を綴っています。

     君が口にする社会不安という言葉さえ、君のみじめな
    生活を隠すように働いていると思った事はないか。君の
    生活が混乱しているように君の精神は混乱しているか。
    社会が不安なように君の文学制作は不安か。不安の
    克服とか称して、いろいろ新発見を楽し気に戦わして
    いるではないか。まるで不安とは文学の新しい技術だ
    とでも言いたげに。そうだ、僕は皮肉を言っているのだ。
    ただ皮肉の拙さを心配している。社会の混乱が君の
    作品に反映し、君の作品からその リアリティ を奪って
    いる事は、君が文学を制作する意欲と関係はない。
    少なくとも関係がないと思わなければ君はやり切れまい。
    従って君が或る制作方法を信じたお陰で、自分が社会の
    混乱のなかに生きている事を忘れる事とも関係がない。
    君は企画に酔い方法に酔う。そういう時、文学の混乱が、
    君の仕事を容易にしている事に不思議はあるまい。君が
    この喜劇に気がつかない限り、リアリティ を必要としない
    リアリズム は君に恰好な意匠なのだ。

 この文を読んで、職業的作家が──たとえ新人であっても──こういう罠に陥る事があるというのは、私には滑稽に思われました。というのは、私は自分の生活を振り返った時に、大学生・大学院生の頃そして就職した後の三年間ほど、自分が社会に適応できないのではないかという不安の中で、数多い人生論の書物を読んで、不安を打ち消そうとしていた事を思い出したからです。当時、私の読んだ書物には、有名な作家 (小説家、文芸批評家) が著した人生論もあれば、洋書の ハウツー 本を翻訳した人生論もあって、色々な人生論を私は多数読みました。そして、それらを読んでいる最中は気持ちが落ち着いた。人生論とは云いながらも、私は、鼓舞された文を文脈から切り抜いて、さながら 「標語」 の様に座右の銘としていた次第です──勿論、(今になって振り返ってみれば、) そんな読みかたは人生論としては適切でない事がわかるのですが (苦笑)。つまり、私は、「現実」 を直視しないで、不安を痲痺させる即席の ソリューション をもとめて足掻いていただけだった。こういう罠に陥る青年は、今でも多いのではないかしら──ひょっとしたら、青年に限らず、壮年にも。

 私は格言集を読むのが好きです──本 ホームページ の 「反 コンピュータ 的断章」 (および、「思想の花びら」) は、まさにそういう格言を材料にしています。ただし、そういう格言を私の思考を促すための触媒 (catalyst) として用いているだけであって、人生訓として読もうとは更々思わない。

 酔う時には酔えばいいのだけれど、酔っぱらった状態では酒の味はわからないでしょうね。尤 (もっと) も、酒の呑みかた (酔いかた) を覚えるには、幾多の失態をやらかして体得するしかないのですが、、、恐る恐る呑んでも味わう事はできないでしょう。「かたはらいたきもの、・・・思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる」 (「枕草子」)、酒類に限らず、思想などに酔っぱらった状態についても言える事でしょうね──「酔ひて、同じことしたる」、思想に関して言えば、視点・思考が ブレ ないという事じゃない、杓子定木 (reality を必要としない realism) という事。

 
 (2013年 2月23日)


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