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Teacher, how good it is that we are here! (Mark 9-5) |
人生とは何ぞやといふ広漠だる問題に私は答へることは
人生とは広大な歴史だと云つてもいゝ。歴史とは無数の人間
私も自身の歩んで来た道を振り返った時に、亀井勝一郎氏の意見に同感を覚えます。私はこの引用文を読んだ時に、It takes two to tango. という英文を思い起こしました。私は、仕事上 独りになって考える事が多いので、「一匹狼」 の様に思われる事が多いのですが、師友は多いほうです。考え事は孤独の裡に積まなければならないのですが、考えた事の実践は社会的営為です。そして、類は友を呼ぶ。
世間の人びとがいなくてもやっていけるだけの力が自分にはあると思っている人は慢気ぷんぷんの天狗になっているのでしょうし、自分がいなければ世間はやっていけないと思っている人は更に大天狗になっているのでしょう。というのは、我々は、他人との出会いを通して、他人から継承しているものが多いはずです。我々は、社会の中で育っているのだから。
テクノロジー を仕事にしている人たちは、先駆的技術が時代的制約の中で十分でなかったというふうに歴史を眺めたがる様です。自分が最先端に立っていると思い込んでいるのでしょうね。自分には祖先がある (相伝相続の関係にある) とは考えられないのかしら。自分も後世から観れば、古くなるのだから。我々は、先代に成された事を継承的に改良するか対蹠的に一新するのでしょう。そういう関係の中で、自分が果たす事のできなかった──探究の途上で終わった──夢を後世 (あるいは、師友) に託すのが亀井勝一郎氏の云う 「祈念の累積」 でしょうね。私は還暦が間近になって、「束の間にしてその歴史の中に埋没してしまふ」 事を実感して、そういう思いが益々強くなっています。
私が生まれた時から今日に至るまで、色んな邂逅──それが書物であれ、生身の人たちであれ──が糸になって織り成した織物が今の私でしょうね。20歳以後、これらの邂逅に反応した出来事が私の人生の幹体を形作っているのは確かです。もしあの時に あの人に出会わなかったら、私の人生は どうなっていただろう──そういう人たちが私にも何人かいます (書物もふくめて)。
還暦間近になって自分の人生を振り返った時に、私の人生に対して決定的な影響を与えた人物・書物を思い出します。私の人生に対して、(書物を除いて、生身の人の事を言えば、) 良い意味でも悪い意味でも、のっぴきならぬ影響を与えた人物の面影が、眼を閉じれば、当時の点景の中で (当時の姿のままで生々しく) 現れます。勿論、当時は、その出会いが後々の人生に影響を与えるとは思ってもいなかったのですが、今になって思えば、私が歩んだ道に確実な影響を与えています。
今の私は過去の堆積物ですが、どうにもならない過去は過去として思い出の中に生きているのみで、私は今後も (去世するまで) 歩き続きなければならない。その道中で どういう出会いがあるかを私は期待しています。
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