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Then he took a cup, gave thanks to God, and gave it to them. (Matthew 26-27) |
もしこのとき、この人 (あるいは書物) に会はなかつた
(略) 個性が鮮かであればあるほど、邂逅によつて却て
私にも、顧みれば、出会った事を感謝している人物 (あるいは書物) は多数いますが、生存している人々について語るのは面映 (おもはゆ) いので、故人の事を述べてみます。私の歩む道を確定したのは、E.F. コッド 氏 (リレーショナル・データベースの生みの親) だった、と言っていいでしょう。勿論、当時はそう思っていなかった── 論説の 1つ (コッド 関係 モデル) を学んだだけのつもりでいました。しかし、その後 今に至るまで私が モデル 論を探究している切っ掛けを与えてくれたのは、E.F. コッド 氏です。私が 30才前半の頃、リレーショナル・データベース を日本に導入・普及する仕事をして──当時、リレーショナル・データベース は日本には先例がなかったので、米国で技術を指導してもらいましたが──、コッド 関係 モデル を知りました。当時の気持ちを正直に言えば、私は データ 設計に興味がなかった、私の当時の専門領域は DBA (Data Base Administrator) でした。寧ろ、データ 設計を 「口先だけの」 仕事とみなして蔑視していました。
私が独立開業する以前の昔話 (25年くらい前の話) ですが、或る ユーザ (大阪所在) で [ 私の担当していた ユーザ ではなかったのですが、 ] データベース の パフォーマンス に関して トラブル が起こって、急遽、私が トラブル・シューティング に出向く事になりました。私は他の ユーザ (東京所在) を専任していたのですが (その ユーザ の全社のすべての システム を リレーショナル・データベース に移行する仕事を担当していたのですが)、社長 (ビル・トッテン 氏) の要請で大阪の ユーザ に 3日間 出向く事になりました。初日に ユーザ の会議に出席したら、「針の筵」 に座らされた状態でした──私に課せられた使命は、「3日間で CPU の使用量を 80% 減らす」 事でした。リレーショナル・データベース を使った システム が CPU を浪費していました。私は、ユーザ の アプリケーション・システム を知らない状態だったのですが、リレーショナル・データベース を モニター してみたら、internals は 「正常に」 稼働していたので、リレーショナル・データベース 自体の トラブル ではない事がわかった──アプリケーション・プログラム の問題でした。プログラム を幾つか調べたら、リレーショナル・データベース を使ううえで 「べからず」 とされる コード が山の様に書かれていました。トラブル の原因がわかったのですが、プログラム を書き直すには プログラム が多すぎました。私が用いた対応策は、「INDEX-only」 でした。その対応策が効いて──勿論、「INDEX-only」 の他にも手を幾つか打ちましたが──、3日目には、CUP を 60% ほど削減できました。目標値の 80% には至らなかったのですが、ユーザ は私の対応に満足してくれて、その夜は接待されました。その時に ユーザ が言った ことば が忘れられない──「エンジン の構造を知らなければ運転できない様な自動車は乗らないでしょう。リレーショナル・データベース が今までの データベース とエンジン がちがうのなら、運転法がちがうでしょう。マサミ さん、その 『運転法』 を我々に指導してほしい」 と。私が データ 設計にふみだす切っ掛けとなりました。
リレーショナル・データベース の データ 設計は、コッド 関係 モデル という数学理論 (集合論と リレーショナル 代数演算) に基づいています。数学が嫌いで文系を選んだ私は、コッド 論文を読んでも、ちんぶんかんぶん でした。数学をどうやって学習したかは、本 ホームページ の他の エッセー で綴っているので割愛します。そして、コッド 論文を読んでみて、私は、2つの論点を問題視しました──「並び」 と null です。それらの論点を セミナー (ビル・トッテン 氏といっしょに講師をした 「トッテンズ・セミナー」) で述べました。リレーショナル・データベース が 当時 新しい話題になっていて、海の物とも山の物とも いまだ わからなかったのですが、セミナー・アンケート は概 (おおむ) ね好意的でした。しかし、私に対する聴衆の反感は すさまじかった。セミナー・アンケート のなかには、次の様な コメント もありました──「若造が知ったかぶりして、世界的権威 (E.F. コッド 氏) に対して、言いたい放題を言っている」 と。私は、E.F. コッド 氏を尊敬しています。そうでなければ、データ 設計を仕事にしなかった。ただ、彼の論の中で 2点が論点となると述べただけです──しかも、E.F. コッド 氏も自らその 2点の論点を認めています。整合的な理論に関して、部分的な反論 (原論通りでも齟齬はないのだけれど、そのままだと実務的に使いにくいので考慮したほうがいいくらいの反論) を 即 全体的な否定として考える人 (「論理」 を使う事を仕事にしているはずの システム・エンジニア、あるいは システム・エンジニア 出身の マネジャー) がいる事を知って、私は愕然としました──25年くらい前の話です。
私は、37才の時に独立開業して、40才の頃、コッド 関係 モデル の意味論を補強するために T字形 ER法を作りはじめました。T字形 ER法は、コッド 関係 モデル を実地に使って、使いにくい点を補強した技術です──T字形 ER法は、論理的な証明が後回しになって、技術の実地使用が先行しました。技術は、当然ながら、仕様があって、その仕様は 「論理」 に適 (かな) っていなければならない。そして、T字形 ER法は、モデル 論 (いわゆる 「数学基礎論」 の一分野) の観点から検証されて、TM として再生されました──その再生の道すじは、拙著の 「黒本」 「論考」 「赤本」 そして 「いざない」 として記されていますが、いまだ再新している最中と言ったほうが正確です、(TM が 「関係」 として使っている関数のなかで) いまだ 1つの関数を証明できていないので。数学基礎論を学習した時に、ゲーデル 氏に巡り会いました。ゲーデル 氏との出会いも、私の人生では忘れられない (TM を生む切っ掛けを与えてくれた人物です)。ゲーデル 氏の他にも、ウィトゲンシュタイン 氏 (言語分析)、カルナップ 氏 (論理的意味論、導出的な L-真と事実的な F-真)、デイヴィドソン 氏 (意味と解釈)、本橋信義 氏 (「情報」 分析、主題と条件)、田中一之 氏 (数学基礎論の学習) との出会いも──書物を通してですが──、TM の制作に影響を与えました。
私の壮年期 (40才代、50才代) は、TM を作る事に費やされました。TM は、私が成熟していった場所でした。TM という ささやかな論にも、数多くの人物との出会いが絡んでいます。その人たちに感謝して擱筆します。
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