anti-daily-life-20130523
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your young men will see vision, and your old men will have dreams. (Acts 2-17)

 



 亀井勝一郎氏は、「人生に対する私の態度」 の中で次の文を綴っています。

    (略) 「死」 を自分の前にはっきり据ゑだとき、はじめて自分の
    ぎりぎりの生がみえてくるのではないか。つまりは自分の本音の
    存するところ、心からの願ひがみえてくる筈だ。そのときいかに
    多くの自己欺瞞や他人への思惑によつて自分が生きてゐるか
    悟るであらう。「私」 とは 「他人」 の複合物ではないか。あれこれ
    と他人の眼をおそれ、他人の思惑のみ気にして、小心翼々と生き
    てゐるのだが、(略)

 こういう気持ちは、たぶん、そうとう年令を重ねないと (あるいは、若くても、死と直面するような出来事に遭わないと) わからないのではないか。私は 50才を越えた頃に、或る人から次の様に言われた──「オマエ は、(好き勝手な事をしてきたので) 今 死んでも悔いはないだろう」 と。私にも、悔いはある──今のままでは、死ぬに死ねない。

 現代社会では、仕事の 「制度」 は、分業化・専門化して、変えがたいほどに強固に確定した社会です。そういう社会の中では、我々は、一つの専門的役割を果たす部品 (a mere cog in the bureaucracy) として存する事を免 (まぬが) れない。そういう社会の中で生活している限りでは、他人の思惑を気にしないで生きてゆく事はできないでしょう。会社を定年退職して、仕事上の人間関係の束縛から離れない限り、他人の思惑から遁 (のが) れるのは 土台 できない事でしょうし、定年退職しても、家族がいれば、自分の一存のみで生活できる訳ではないでしょう。自分の本音 (やりたい事) は、40才くらいの頃までに はっきりして置いて、それ以後、本音を徐々に実現するしかない。事を思い立ったら直ぐにでもできそうな気がするものですが、段取りには、思いの外、年月が掛かるものです。

 私の青春時代と比較して見ると、今日の青年のほうが社会制度の中で夢 (理想) を抱いて生き難い時代になっている事はそうだろうと思うけれど、いつの時代でも夢を抱いて生活する事は やさしい事ではないのであって、夢をみる事が青年の特権であると思う。夢を抱く事が難しいなら難しいで、そういう制度の中で夢を実現する算段をすればいいではないか。自分を ごまかさないで、自分に対する一片の誠意を持って生活すればいいではないか。夢を抱くのが難しい理由を社会制度の所為にするのは、たいていの場合、尽力を逃れる口実でしかない。青年の頃から本音を隠すのは、だらしないと思う。若くして そんな事をしていれば、私の様に初老になって慌てふためく事になる。その時には、やり直しは もうできないのです。辛いよ、これは。その辛さに較べたら、夢を持つ事のできる辛さなど充分に耐えられるでしょう。

 
 (2013年 5月23日)


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