anti-daily-life-20131123
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Treat them with the greatest respect and love because of the work they do. (Thessalonians 5-13)

 



 亀井勝一郎氏は、「私は文学をいかに学んできたか」 の中で次の文を綴っています。

    (略) 文学を志す人、或は文学好きの人に、案外怠け者が多いと
    いふことである。文学とはやはり一種の学問である。自分の経験
    や周囲の事件をたゞ書くのではなく、ひまさへあれば自分の範と
    なすに足る古人先輩の作品に接して、これを学ぶ必要がある。文章
    の上から云ふなら、鴎外の文章などつねに座右において、その簡潔
    さと正確さを学ぶ必要がある。誰か尊敬する人をひとり選んで模倣
    することが必要である。独創的たらんとするよりは、尊敬する人の
    前に自己を放棄して、専ら模倣することが、結局人間を独創的たら
    しめるのである。模倣のうちにすでにその人の能力はあらはれて
    くる。

 「文学好きの人に案外怠け者が多い」 という意見は、私自身我が身を顧みて反対はできない (苦笑)。日々、書物を読んで考えている外見が、無為な様に・非生産的に見えるのでしょうね。文学好きと学者はその意味では同じですが、学者には学術研究という社会的貢献があるけれど、文学好きは夢想に耽っているとしか思われない。幸いか不幸か、私は学者肌と見られる事が多く、この事を隠れ蓑にして、私は文学好きを通しています (笑)。しかし、「文学とはやはり一種の学問である」。ちなみに、そんな私から観れば、その辺に落ちている公式 (格言、キーワード など) でもって事物を見透かした様な意見を述べている人たちのほうが怠け者に思われます。

 私は、朝起きて直ぐに机に向かい、二時間ほど、複数の愛読書を写本します。一冊の書物を丸々写本するのではなくて、以前にその書物を読んだ時に感銘して下線を引いた文を書物の欄外に写し取っています。今写本している書物は、次の四冊です。

  「アラン、ヴァレリー」、世界の名著 66、中央公論社
  「三島由紀夫 文学論集」、講談社
  「精神と情熱とに関する八十一章」、アラン 作・小林秀雄 訳、東京創元社
  「思想との対話 6 小林秀雄 古典と伝統について」、講談社

 四冊の書物を併行して写本しているというあんばいです。一冊の書物を写本してから他の書物に移るという悠長な事は私にはできない。ちなみに、写本する書物は、写本する前に十回くらいは丁寧に読んでいましたがその後に写本してみて、自分が如何に読み間違い・読み落としをしているか つくづく思い知らされています。愛読書を熟読して写本する事は、作家の 「ものの見かた」 に信を置いて学ぶという事でしょう。私は不幸にして天才として生まれなかったので、天才たちの視点・文体を真似て自分を高める事しかできない。世の中で何が面白いと云って、自分の力が日々増すのを知るほど面白い事はないでしょう。気に入った天才の書物は、徹底的にしゃぶり尽くすというのが私の読書法です。相手は天才なので、勿論、私の力ではわからない事が多いのですが、「本文ばかりを年月久しく詠め暮し」 (荻生徂徠) てゆくしかない──それは片思いの恋愛に似ているかもしれないけれど、私たちはいつも尊敬・愛情によって相手に惹かれるのではないか。

 
 (2013年11月23日)


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