anti-daily-life-20141101
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The Word became a human being and,... (John 1-14)

 



 小林秀雄氏は、「からくり」 の中で次の文を綴っています。

     俺は冷くなった炬燵に頬杖をつき、恐る恐る思案した。──俺を
    支えているものは俺自身ではなく、ただ俺の過去なのかもしれない。
    俺には何んの希望もないのだから。だけど、俺が俺の過去を労ろう
    とすればするほど、それは俺には赤の他人に見えて来る。

この文は、小林秀雄氏が 28歳になった時に綴った文です(参考)。きっと彼の実感を吐露した文でしょうが、28歳にして、こういう文を綴る才知は、紛れもなく、文学のなかに漬 (つ) かった才識でしょう。私はこの文を読んだ時に、有島武郎氏が 「生まれいずる悩み」 に綴った書き出しの文を連想しました──

     私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろう
    とする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな
    明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいて
    いた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれ
    ほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の
    心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を
    燻《いぶ》らそうとする塵芥《ちりあくた》の堆積《たいせき》はまたひどい
    ものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ない
    ような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、
    冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな
    筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。

いずれの文章も、自分と向きあって自分の魂 (精神?) を凝視しようと試みた文ですね──文学たる所由ですね。どういう作品が文学に値するのかという判断は、文学の シロート である私には正確にできないけれど、小説 (散文) に限ってみれば、少なくとも 「思想と物語」 は必要条件ではないかしら──当然ながら、それらを著すには、文体が不可欠です。

閑話休題。さて、小林秀雄氏の文ですが、「俺を支えているものは俺自身ではなく、ただ俺の過去なのかもしれない。俺には何んの希望もないのだから。」──還暦を越えた初老には この思いは実感なのですが、28歳の青年がこういう思いを実感しているというのは、如何なる生い立ちなのか。そして、この文だけなら、ただの早熟な青年の告白 [ 世間を斜に観た stereotype な態度 ] にしかならないのですが、次の文 「だけど、俺が俺の過去を労ろうとすればするほど、それは俺には赤の他人に見えて来る」 が彼独自の視点となって独自の文体を醸していますね。だからこそ、「冷くなった炬燵」 と 「恐る恐る思案した」 が、文の構成上、布石として生きてくる。「自分」 を掴みかねているが、「自分」 (自分の精神) は歴然として在る、そういう実態を凝視している。

一昔前、「自分探し」 というのが流行 (はや) ったけれど、探して見つかるものなら、ヤドカリ の宿探しと同じ態ではないか。小林秀雄氏は、「アシル と亀の子 W」 のなかで次の文を綴っています──

    心理とは脳髄中にかくされた一風景ではない。また、次々に言葉に
    変形する太陽下にはさらされない一精神でもない。ある人の心理とは
    その人の語る言葉そのものである。その人の語る言葉の無限の陰翳
    そのものである、と考えればその人の性格とは、その人の言葉を語る、
    一瞬も止まる事なく独特な行動をするその人の肉体全体を指す、と
    いう考えに導かれるだろう。

これが 「自分」 というものではないかしら。私も同意見です。それとも、こういう考えは、文学に取り憑かれた輩の戯言なのかしら。

 
(参考) 小林秀雄氏は、27歳のとき、「様々なる意匠」 が雑誌 「改造」 の懸賞評論二席に入選しました (1929年 9月)。その 3ヶ月後に 「志賀直哉」 を書き (同年12月))。続いて、「からくり」 を書いています (1930年 2月)。その後 (同年 4月)、「アシル と亀の子」 の連載を書き、日本の批評文が転回しはじめます──小林秀雄氏が出現するまでの批評文は、文芸作品を品定めするか マルクス 主義などの思想を尺度にして批評するかのどちらかであったのですが、小林秀雄氏は、(文学が作者の人生・人間性の表現であるなら、) 批評も、批評家の人生・人間性の表現でなければならないと断言して文壇に出ました。彼が 「批評を文学にした」 と云われる所以です。

 
 (2014年11月 1日)


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