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The Pharisees went off and made a plan to trap Jesus with questions. (Matthew 22-15) |
僕が歌舞伎で発見した真理は、たった一つであって、それは
私は、数学基礎論を前提にした モデル 論を専門にしている システム・エンジニア なので、この文を読んだとき、構文論 (無矛盾な構成、記号演算) と 意味論 (真とされる値の充足、構造の 「解釈」) とを直ぐに思い浮かべました。数学では、勿論、構文論が先で意味論は後 (あと) です。そして、歌舞伎という芸能を観た小林秀雄氏が、それと同じ様な感想を述べていることを知って、共感しました。小林秀雄氏は、芸術上の 「フォルム」 を語っているのですが、私が それを語るには私の才知が足りない──私は文学者ではないので。
数学では、証明式に対する賞賛の ことば として 「エレガント」 があるそうですが──私は、勿論、数学者でもないので、式を観て、「エレガント」 さを感じることはできないのですが──、コンピュータ の領域では、elegant programming という ことば があります。Elegant programming とは、writing a well-structured program using the minimum number of instructions のことを云います──これなら、私にも 「見て取る」 ことはできます。実際、elegant programming だと感じる プログラム (アルゴリズ) を私は いくつか観てきています。そういう アルゴリズム を観ると──アルゴリズム は可視的な構成物です!──、感動 (あるいは、感動とまではいかないまでも 「スゲー なあ」 という賛嘆) を覚えます。そういう 「エレガント」 な アルゴリズム と そうでない アルゴリズム [ 勿論、無矛盾な構造で 「エレガント」 な アルゴリズム と同じ アウトプット を生成する プログラム ] は、正しい計算結果を出すという点では変わりはない。そして、現代の マシーンの性能なら、多少 冗長な アルゴリズム を書いても恥ではない、寧ろ他の プログラマ たちが その アルゴリズム を観て わかりやすいほうが大切だと思っている プログラマ が多くなったのではないか?──実際、私は、以前 勤めていた会社では、そういうふうに指導されました。しかし、プログラマ が自分の腕 (技術) を示そうと思ったら、「エレガント」 な アルゴリズム を書きたいという欲求を抑えることができないのではないか、プロ の プログラマ なら!
「形式」 は、「意味」 にとって、喩えれば骨肉のようなものではないか。あるいは、「形式」 が 「意味」 であると言ってもいいのではないか。私が それをわかるようになったのは、齢 (よわい) 60 を越えてからだった、、、。
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