anti-daily-life-20171001
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If we suffer, it is for your help and salvation; (2 Corinthians 1-6)

 



 小林秀雄氏は、「文科の学生諸君へ」 の中で次の文を綴っています。

     現代の学生の心は非常に不安であり、性格が分裂し、懐疑的で
    あり云々の事がよく言われるが、僕は自分がまさしくそういう
    学生であったから、別にそういう事を深く感じないのである。
    僕の学生時代から見ると、今日の時代の方が、確信を抱いて生き
    難い時代になっているという事は、まさにそうだろうと思うが、
    どんな時代にしたって人間としての真の確信というものを掴ま
    えるのは、生まやさしい仕事ではないし、ほんと言えば青年など
    の手に合う仕事ではない。時代の反映であろうが、生理的反映
    であろうが、精神の不安は青年の特権である、という考えを僕
    は自分の青年時代の経験から信じている。

 小林秀雄氏の意見に まったくの同感です。青春時代の不安・憤怒を言い表す ことば として 「疾風怒濤」 がありますが、もう死語になったのかしら。私が学生の頃は、「学生運動」 が下火になってきた頃ですが、それでも大学は騒然としていて 「ロックアウト」 が日常茶飯事にあって講義は休講が多く、「ノンポリ の」 学生たちができることといったら、下宿で一人で書物を読むか、恋人がいれば恋人と同棲して恋愛をたのしんでいるか、いずれにしても学生たちの多くは、騒然とした学生生活のなかで 「自分探し」 をやっていた (ちなみに、私の学生時代に、「同棲時代」 という漫画が注目を浴びて、学生の同棲が流行った)。

 そういう学生生活のなかで、私はといえば、三畳一間の下宿に閉じこもって、書物 (文学、哲学) を ひたすら読んでいました。そして、遠距離恋愛 (故郷の富山に恋人がいた)と失恋──スマホ がない時代なので (LINE がなかった時代なのでw)、恋人と やりとりするには、手紙と電話しか手立てがなかった [ 電話の通話料金 [ 県内 ] は、3分 10円の時代でした、長距離 [ 県外 ] に電話するときは 3分間という制限がなくて距離に応じた重加算料金だったように記憶しています、しかも電話は家電 (いえでん、家の固定電話) か公衆電話です ]。生活費が 1日 500円の貧乏学生には長電話はできなかったし、彼女から電話してもらっても、下宿の電話は大家さんの部屋に設置されていて呼び出しだったので、彼女からの電話もままならなかった。だから、手紙が連絡の手立てだった。下宿の郵便箱のなかで、彼女の筆跡の手紙を見いだした時は、ワクワク したし、彼女から暫く手紙がないと不安になった。

 私は学生でしたが、彼女は社会人で 「結婚適齢期」 ということで 「見合い」 を次々に勧められていました。自分自身の力を証明する仕事も持っていない、書物だけで社会・人生を知った気になった、それでいて いかに生きればいいかを思いあぐねて、遠距離恋愛という不安定な恋愛中の貧乏青年が、どのような心持ちでいたかは、簡単に想像がつくでしょう──「非常に不安であり、性格が分裂し、懐疑的であり云々」、「疾風怒濤」 の状態であり、確信など微塵もない。

 「今時の青年は、云々」 というような口はばったいことは言うまい。青年には未来があるというだけで幸せでしょう。そして、青年が未来を考えるとき、仕事の経験が少ないので怖いもの知らずで 少々 傲慢にもなるし、いっぽうで、若いゆえに未熟で やることが ぎこちなく拙いので不安にもなるでしょう。しかし、魂のこもった青春は、そう易々と崩れはしない、と思う。自分の信じた道を歩き続ける気力を貫けばいい、と思う。なにごとにも聞き分けの良い優等生的な青年を私は嫌いです。

 
 (2017年10月 1日)


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