anti-daily-life-20180501
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They have left the straight path and have lost their way; (2 Peter 2)

 



 小林秀雄氏は、「志賀直哉論」 の中で次の文を綴っています。

     人生を解釈する上に非常に便利な思想というものは、その
    便利さで身を滅ぼす。便利さが新たな努力を麻痺させるから
    だ。

 「人生を解釈する上に非常に便利な思想」 とは、どういう思想か、、、わんさと例を挙げることができますが、端的に言えば、会話の中で自分の話を結論づけてまとめるために引用される名言 [ 優れた人たちの思想の一部を抜き取った文 ] の類でしょう。勿論、思想の一部を抜き取った文は、文脈から切り離されているので (あるいは、要約されているので) 元の思想ではない。都合のよいように切り取られた断片にすぎない。しかし、我々は、自分の都合のよいように元の思想を利用する。自分の主張あるいは意見の証を立てるために他人 (優れた人たち) の思想を利用するというのは、権威付けでしょうね。あくまで自分の主張・意見が主体であって、利用された思想は自分の主張・意見を権威付けするための傍証にすぎない。

 利用するのに便利な思想は確かにある。「格言集 (dictionary of quotation)」 は、その最たるものでしょう。とても便利な書物です。「格言集」 は、私も頻繁に使います。ただし、私は 「格言集」 を傍証として使うことも偶 (たま) にあるけれど、傍証として ほとんど使わない──逆に、自分の考えを誘発する ネタ 本として使っています。天才たちが遺した言葉は、私に刺激を与えてくれる。本 ホームページ の 「反 コンピュータ 的断章」 「反文芸的断章」 は、「格言集」 を元として、その中に収められている一つ一つの格言について、そこから誘発される私の感想・意見を述べています。「格言集」 の 「便利さが新たな努力を麻痺させる」 ことはない。寧ろ逆に私の考えを誘発する。

 この頃 私が思うのは、思想というのは文体そのものである、と。思想のなかから 「意味」 を掴むという幻想は今では毛頭持っていない。そして、勿論、文体は便利なものではない。

 
 (2018年 5月 1日)


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