anti-daily-life-20200101
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Now I know that it is really true! (Act 12-11)

 



 小林秀雄氏は、「歴史と文学」 の中で次の文を綴っています。

     史観は、いよいよ精緻なものになる、どんな驚くべき
    歴史事件も隈なく手入れの行きとどいた史観の網の目に
    捕らえられて逃げる事は出来ない、逃げる心配はない。
    そういう事になると、史観さえあれば、本物の歴史は要ら
    ないと言った様な事になるのである。どの様な史観であれ、
    本来史観というものは、実物の歴史の推参する為の手段
    であり、道具である筈のものだが、この手段や道具が精緻
    になり万能になると、手段や道具が、当の歴史の様な顔を
    し出す。

 小林秀雄氏が この文で述べていることは、有り体にいえば、「目的と手段を取り間違える」 とか 「本末転倒」 ということでしょう──史観は、歴史上の出来事・人物についての 「見方・観点」 であり、それに基本を置いた思想・学説などの明確な態度が立場とか学派とか イズム (主義) と云われています。歴史観については、私は歴史の研究家ではないので明確に述べることができないし、そもそも 歴史を どのように観るか ということには 全然 興味がない [ 歴史学あるいは それに関連する哲学に関わっていない庶民は たいがい そうではないか ]。私は歴史 (というよりも民俗学) に大いに興味を抱いて、その書物を読んできましたが、歴史家たちが記述している事柄の中身については そういう見かたもあるのだなと思うだけです。日本史 (古代史・中世史) を読んで、歴史家たちが通説として (あるいは、通説に対して反論した 「逆説」 として) 様々な出来事の聯関を記述した書物を我々庶民が読んでも、それら出来事の一次史料を読んだこともないので、事の次第の真偽を判断できないし、せいぜい 歴史家が出来事の聯関を述べる論法について論理に矛盾がないか とか 論法が正しい順序・段階をふまずに先に進んでいないか とかを判断するにとどまるでしょう──我々庶民は、史料の量・質において専門家には敵わないのだから。

 史観が独立して成り立つ訳ではないでしょう──たとえば唯物史観を奉じている資本家階級 (あるいは、普段の生活での言動は右派 (ネトウヨ) だが、「社会」 を論ずるときの言動は左派 (パヨク)) という人は二重・多重 人格者以外に いないでしょう。我々庶民は、生活のなかで感じて考えた おのおの の意見を拠 (よりどころ) にしている。これが我々が持っている一番確実な意見 (モノ の見かた) であって、しかも それは人生のなかで首尾一貫している訳ではない。そういう得体の知れない不特定多数の庶民が営んでいるのが 「社会」 であり、その 「社会」 のなかで起こった抜きさしならない出来事の実例を選んで それらの聯関を引きだした哲学が史観と云われているのではないか。だから、或る史観に沿って記述された歴史のなかには出来事に関与した人物の (良い意味でも、悪い意味でも) 英雄たる一側面の記述はあるけれど、その側面のほかは切り捨てられる──英雄も当時は生身だけれど、歴史のなかでは出来事を担った一つの 「機能」 として記述される。それが悪いと私は言っているのではなくて、普段の生活では個人が社会に主体的に働きかけるけれど、「社会」 を対象にした場合には、英雄的個人も社会構造のなかで出来事に関与した 「機能」(構成員) として観るほかはないでしょう──すなわち、社会的出来事の聯関を或る条件下での一連の理由-結果として記述することによって それに関与した モノ (事物) が 「存在」 として示されるのです、そして そういう やりかた (社会的事象の構成条件、そして その構成に対する環境条件を明らかにすること) こそが学問として歴史学が成り立つ前提でしょう。その前提を どのような観点で立てるか、その観点が史観と云われているのですが、構成条件・環境条件の前提 (視点、見かた) は、自然法則 (因果律、原因-結果の因果法則) とはちがって、理由-結果の系では理由が結果を含意するという必然性 (これしか有り得ないという法則) は定立できない──史観が どれほど精巧になろうとも。そして、その史観 (歴史の見かた) は、我々が普段の生活のなかで体験して感じて考えた おのおの の意見が礎になっているのではないか。

 歴史と史観が逆転して、ひとつの史観を以て歴史を悉く語るのは──或る史観を以てして 「歴史は こうあるべきだ」 と唱えはじめたら──史観症候群と云っていいでしょうね。日常の簡単な ことば で言えば、そういう態度は 「馬○の一つ覚え」 と云うのではないか。過去の出来事についての現存する一次史料のすべてを閲覧できない我々庶民は、歴史の通論 (あるいは、その逆説) を読んだときに、史観症候群に陥る危険性は高い。なまじ多くの通論を読んできていれば、「私は歴史の見かたを知っている」 などと妙な快感を抱きやすい──しかし、そう思うのは、かつて読んだ歴史家の視点を鸚鵡返しにしているにすぎない。歴史において厄介なのは、実際に起こった出来事の理由を考えるとき、その理由の いわゆる 「たら・れば」 の可能性が、一次史料が遺されていないが故に事実かどうかがわからない [ unknown ] のであって、推測された理由が実は事実であるかもしれない (あるいは、的外れである) という不確定性の余地が多い。そして、史料として遺されていたとしても、その記述について虚偽・改竄などの有無を調べるために複数の史料のあいだで校合を丁寧にしなければならないし、遺跡の調査をしなければならない──「数学者に、頭のいい悪いはあろう、だが仕事の上で嘘をつく数学者なんてものは一人もいないはずである。ところが文化科学になると」、「みんなが不誠実を否応なく強いられる。この世界では仕事の上の仮定は、生活上の仮定のように頼りがない」(*)。歴史家が史観について専門的に どう説明しようとも、史観 (見かた) に信用を置かないということを庶民は生活の実体験から直感しているのではないか──信用するには充分 (whole, complete, entire) でないが、信用しないほどの合理的理由がない、というのが史観についての私の正直な感想です。

 
(*)「批評家失格 T」 131ページ(「小林秀雄初期文芸論集」、岩波 クラシックス 収録)

 
 (2020年 1月 1日)


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