× 閉じる |
We do not live for ourselves only, and we do not die for ourselves only. (Romans 14-7) |
上手に語れる経験なぞは、経験でもなんでもない。はっきり
「曰く言いがたし」 というのが自己の性質について述べることにも云えることだし、そういう自己が向きあい対応する対象についても云えることだし、その対応についても云えることでしょうね。たとえば、恋人がもつ魅力を まるで取扱説明書を読んでいるかのように淀むことなく上手に語るような人を私は信用しない──そう語る人は (もし、私が その人の話を聞くはめになったならば)、勝手に そう思い込んでいるのではないかと皮肉のひとつも言いたくなるでしょうね。私が そういう人を信用しない理由は、そういう人は かつて読んだ書物に綴られていた文を ウケウリ しているにすぎないと思うからです──相手のことを生 (なま) で丁寧に観ていないと思うからです。特に、若い頃に書物を多量に読んできた いわゆる 「文学青年」 には この ウケウリ 傾向が強い。すぐれた作家が書いた小説は、或る意味では 「人生の指南書 (トリセツ)」 と云っていいのですが、そこの書かれたものを 「人生あるいは人性の本質」 であると 「文学青年」 が思い込んで安直に ウケウリ するのなら 「パターン 症候群」 を患っている。
私が かつて 仕事をした ユーザ 先での話ですが、外注 SE が ユーザ の或る事業について モデル 図を作成してきて、私が それを レビュー (添削) しました。その モデル 図を ユーザ の事業 (事業過程) と対比しながら 「現実と一致した (現実を写像した)」 モデル として完成すべく私は添削していたのですが、余りに多くの修正が出てくるので、私は少々うんざりして次のように尋ねました──「この モデル が正しいということを証明してください」 と。そうしたら、件の SE は、こともあろうに次のように言い放ちました──「私は この事業領域について 10年の経験があって、他の企業では こういうふうな [ モデル 図に描かれた ] 事業構造になっているのが ふつうです」 と。それを聞いて私は ぶち切れました──「他の企業のことは どうでもいい! 私の ユーザ の事業を真っ直ぐに観てください」 と。私は開いた口が塞がらなかった、この SE は完璧なまでの 「パターン 症候群」 を患っている、と。この SE の経験なぞは、経験でもなんでもない。
書物を多数読んで知識を増やすことや パターン を学ぶことを悪いことだと私は言っているのではない、寧ろ書物を多数読むことを私は勧めます。しかし、書物や パターン というのは、観察力・思考力を養うための トレーニング・キット であって、そこに記載されている事例が どれほど詳細に説明されていても現実事態の豊富さには及ばない。しかし、書物や パターン なかに記載されている事例を 「典型的な・本質的な」 事例だと思い込んでしまえば、頭が目を騙すのは たやすい。そして、パターン を現実事態に そのまま投射してしまう、現実事態の豊富さを見くびってしまう──自分の観たい事だけを見るという罠に陥ってしまう、それが 「パターン 症候群」 の典型的な症状です。その罠を諫めるように、小林秀雄氏は次のように綴っています──
彼は (ドストエフスキイ) は、何も彼も体験から得た。
物事が 「腹に入る [ 腹に落ちる ] 」 とは、そういうことではないか。
|
× 閉じる |