anti-daily-life-20200601
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Look how the wild flowers grow: they do not work or make clothes for themselves.
(Matthew 6-28)

 



 小林秀雄氏は、「当麻」 の中で次の文を綴っています。

     僕は、無要な諸観念の跳梁しないそういう時代に、世阿弥が
    美というものをどういう風に考えたかを思い、其処に何んの疑わ
    しいものがない事を確かめた。「物数を極めて、工夫を尽くして
    後、花の失せぬところをば知るべし」。美しい 「花」 がある、
    「花」 の美しさという様なものはない。彼の 「花」 の観念の
    曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされて
    いるに過ぎない。

 「風姿花伝 (通称、『花伝書』)」 が世阿弥の作であることは学校で教えられるので、ほとんどの日本人は知っているでしょう。しかし、「花鏡」 も世阿弥の作であることを知っている人は どのくらいいるかしら。「花伝書」 を読むときには 「花鏡」 も いっしょに読むことを お勧めします。「花鏡」 は、「花伝書」 の技術的解説書の役割を担った著作です。「花伝書」 の 「花」 については、本 ホームページ で かつて述べたので、そして それについての私の感想は それ以後に変わっていないので、その エッセー を再読していただければ幸いです。世阿弥は、「花」 を咲かせる種として 「技術」 を重視しています。それゆえ、「花鏡」 を読んでほしいと私は勧めたのです。「花鏡」 についても、本 ホームページ で かつて述べているので読んでみてください

 「花伝書」 のいう 「花」 については、前述したように かつて述べているので再び (同じようなことを) 説くことは止めます。小林秀雄氏の この文について私が衝撃をうけたのは、次の文です──「美しい 『花』 がある、『花』 の美しさという様なものはない」。見事な文ですね。小林秀雄氏の 「当麻」 を私が読んだのは、 1990年頃だったと記憶しています──おそらく、大学生の頃にも読んでいたと想像できるのですが [ なぜなら、当時、私は、亀井勝一郎氏、小林秀雄氏、和辻哲郎氏、唐木順三氏、加藤秀俊氏、加藤周一氏、山崎正和氏らの評論家たちの著作を読み漁っていたので、小林氏の 「当麻」 を読んでいたと高い確率で想像できるのですが ]、記憶に強くのこっているのは亀井勝一郎氏の作品であって、「当麻」 を思い出せないのです。しかし、1990年頃に再読して、この文 (「美しい 『花』 がある、『花』 の美しさという様なものはない」) は強く記憶にのこっています。というのは、今は亡き友人の N さんと当時の T字形 ER法 (モデル 技術 TM の前身) について メール をやりとりしていたときに、この文を私の メール のなかで引用していたのを覚えているので── N さんも この文には衝撃をうけたようで、私への返事のなかで言及していました。N さんは 1998年に亡くなりました──私は、「黒本」(1998年出版) の扉の ことば として、「この書を今は亡き わが友 N さんに捧げる」 という追悼文をおくりました。「反 コンピュータ 的断章」「反 文芸的断章」 を継続して読んでくださっている人たちは、すでに気づいていらっしゃると思うのですが、それらの エッセー のなかで、小林秀雄氏の この文を私は たびたび 引用してきています。モデル 技術 TM の根底になっている考えかただと思っていただいても間違いない。小林秀雄氏の この文は世上でも有名になっていますが、私にとっては自らの壮年時代を費やして作った モデル 技術 TM の礎石とも言える文なのです。

 
 (2020年 6月 1日)


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