anti-daily-life-20201201
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Happy are those who mourn; God will comfort them! (Matthew 5-4)

 



 小林秀雄氏は、「モオツァルト」 の中で次の文を綴っています。

     モオツァルト のかなしさは疾走する。涙は追いつかない。
    涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂い
    の様に、「万葉」 の歌人が、その使用法をよく知っていた
    「かなし」 という言葉の様にかなしい。

 モオツァルト の ピアノ協奏曲に関しては、私は小林秀雄氏の意見に まったく同感します。ピアノ協奏曲のなかで、特に 21番の第 2楽章 (アンダンテ) と 23番の第 2楽章 (アダージョ) は涙が結晶して宝石になった (あるいは、透徹した哀しみ) としか言いようがない。日本語の 「かなし」 は、自分の力では とても及ばないと感じる切なさをあらわす ことば ですが──感情には、喜・怒・哀・楽があるけれど、「かなし」 は、そのどれにでも適用される──、自然に対しては深く心を打たれる美的感動の心をあらわすそうです。

 私が モオツァルト に惹かれるようになった年齢は 40才をすぎてからです。私は 40才以前にも彼の音楽 (主に交響曲) を聴いていましたが、モオツァルト は天才であると云われている理由がわからなかった [ 体感できなかった ]──彼の交響曲 40番 (ト短調) は、ベートーヴェン も シューベルト も メンデルスゾーン も絶賛したそうですが [ 正直に告白すれば、私は この交響曲の第 2楽章を聴いていて いつも頓挫して聴くのを止めてしまうのですが ]、交響曲の範疇であれば、モオツァルト 以後の ベートーヴェン のほうが断然いいと私は感じていました。ただ、交響曲 25番は以前から好きでした──その交響曲が放つ鬱積した憤怒・不安・愁い・悲哀の混沌とした曲想が好きでした。

 私は いわゆる 「文学青年」 気質の強い性質で、若い頃から悲哀 (かなしみ) については繊細な感覚が過敏なほうでしたが、いっぽうで青年時代には その時代特有の鬱積した憤怒のほうも強く、シュトゥルム−ウント−ドラング (疾風怒濤) な傾向のほうが 「かなし」 を感じる心を凌駕していたのでしょう。それ故、モオツァルト の交響曲について言えば、40番よりも 25番のほうを好んだと思われます。私が彼の ピアノ協奏曲に惹かれるようになったのは、米国出張中 (30才代半ば頃)、モール (ショッピングセンター) のなかで たまたま聴いた ピアノ協奏曲 20番が切っ掛けでした──この曲は、憂愁な情緒の漂う曲です。それ以前に、私は モオツァルト の ピアノ協奏曲を聴いたことはなかった。帰国してから、私は クラシック 音楽の カセットテープ (当時、CD は存在しなかった) を まいつき 多量に買い続け、クラシック 音楽の ファン になりました。当時は、交響曲や オペラ (あるいは、その アリア) を買い漁りました。モオツァルト の ピアノ協奏曲が切っ掛けで クラシック 音楽を聴くようになったのですが、交響曲が主力であって ピアノ協奏曲を聴くようになったのは もっと後 (40才以後) になってからのことです。そして、40才をすぎて モオツァルト の ピアノ協奏曲を聴いて、モオツァルト が天才であると云われる理由が次第に感じられるようになった──音楽の シロート (音楽の技術を知らないけれど、音楽を聴くのが好きな 一ファン) としての感想にすぎないのですが、モオツァルト は交響曲に較べて ピアノ協奏曲のほうが断然いい。

 私は コンピュータ 界隈で仕事をしています。そこでは、新しい技術が次々と現れ古い技術を更新していきます。いっぽう、モオツァルト の音楽を聴いていて、最上の意味の音楽は新しさを ほとんど求めていないのではないか、と思う。作品は、そのなかで完結している──作品が我々に伝えるものは、、、「世界から退避するには、芸術によるのがいちばん確実だが、世界と結びつくのにも、芸術によるのがいちばん確実である」(ゲーテ、「親和力」)。モオツァルト が この世で感じたものは、モオツァルト の音楽に込められている──「モオツァルト のかなしさは疾走する。涙は追いつかない」。モオツァルト の 「かなし」 を感じるためには、我々凡人は 存外 人生の年数を重ねなければならないのかもしれない。モオツァルト が 30才半ばまでに感じて音に託してあらわしたものを我々凡人は酸いも甘いも噛み分ける年齢になって やっと 感じる、しかも 彼の没後 200年のときを隔てても彼の音楽は訴えかけてくる。現代では、「天才」 という ことば が安っぽく使われているけれど、ほんとうの天才とは モオツァルト のような才を云うのだと私は思う。

 
 (2020年12月 1日)


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