anti-daily-life-20210201
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Tell them to give up those legends and those long lists of ancestors,... (1 Timothy 1-4)

 



 小林秀雄氏は、「モオツァルト」 の中で次の文を綴っています。

     誰も、モオツァルトの音楽の形式の均整を言うが、正直に
    彼の音を追うものは、彼の均整が、どんな多くの均整を破っ
    て得られたものかに容易に気付く筈だ。彼は、自由に大胆に
    限度を踏み越えては、素早く新しい均整を作り出す。至る処
    で唐突な変化が起るが、彼があわてているわけではない。
    方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の
    治療法を発明する為だ。彼は、決して ハイドン の様な音楽
    形式の完成者ではない。寧ろ最初の最大の形式破壊者で
    ある。彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、
    彼以後のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え
    得なかった。

 先ずもって私が驚嘆したのは、小林秀雄氏の文体です──こういう文は、作文がうまい人であっても なかなか綴ることのできない文でしょう。彼が論点にしているのは とても抽象的なことだけれども、彼の言っていることは そう難しくはない、そして その意味が われわれにわかるのは彼の文体が述べたいことを的確にあらわしているからでしょうね。この引用文は、前回引用した彼の文と呼応しています──論点は、「目的地なぞ定めない。歩き方が目的地を作り出した。」 ということ。

 自分の精神 (知・情・意) に忠実に従って、それを再造して、「彼は、自由に大胆に限度を踏み越えては、素早く新しい均整を作り出す」──そもそも精神の動き [ 生滅流転 ] は均整を たもっている、そうでなければ精神破綻者のそれでしょうね。われわれ凡人には天才が異様に見えるけれど、彼らは精神が破綻している訳ではなくて、喩えれば彼らが精神の山に登って山頂の断崖絶壁に立っているので、平坦な道を歩いているわれわれには異様に見えるのかもしれない。そして、彼らは ひとつの山を登頂したことで満悦することなく次のさらなる山を目指す──登山中に滑落した天才たちも存するけれど、彼らは登山を続ける。そういう山々を遠くから眺めているわれわれ凡人には山々が美しい景観をみせてくれるけれど、(登山をしたことがある人たちはわかっていると思いますが) 山の中に踏み入った道なき道は岩で険しいくて とても美しいものではない。しかも、現実の世では、山は すでに形をもっているけれど、精神という壺中の天では山の形はないし地図もない、歩き方が目的地を作り出す。

 バッハ や ハイドン や ヘンデル が──勿論、彼らだけではなくて彼らの周りにいた作曲家たちも──音楽の形式を作り整えたのは事実でしょう。モオツァルト と ベートーヴェン も、ハイドン・ヘンデル といっしょに 音楽史上 いわゆる 「古典派」 とされています。モオツァルト と ベートーヴェン は 「古典派」 として括られていますが、二人は 「古典派」 というよりも そのあとに続く いわゆる 「ロマン 派」 に近いと私は感じています。音楽史上のこういう分類は、音楽の展開を鳥瞰するには便利ですが、音楽は音楽家一人一人の精神から生まれるのであって、モオツァルト の音楽を味わうには モオツァルト の音楽そのものに接するしかないでしょう──ただ、モオツァルト が いくら天才だったといって、彼の先人たちが発明し整えてきた作曲の技術を踏襲しないで彼の音楽が生まれた訳ではないでしょう。前の時代の技術があってこそ、それを踏襲しつつ モオツァルト 独自の音楽が生まれた訳で、バッハ や ハイドン や ヘンデル がいなかったら、モオツァルト が その役割を担っていたでしょう。実際、モオツァルト も ベートーヴェン も その初期の作品には ハイドン の影響がある。モオツァルト が前の時代の音楽家と比べて独特なのは、ピアノ・コンチェルト と歌劇でしょうね。そして交響曲では、モオツァルト らしさがあらわれはじめた曲は、第 25番だと私は思っています──この交響曲は 「ロマン 派」 の作曲家の作品であると云っていいくらいの曲ではないかしら。

 モオツァルト の人生は波乱に充ちていたそうです、そして それが曲を作るときにも彼に多大な影を落としたでしょう、そういう自らの精神の裡に響く音を どうやってあらわすか、、、──「至る処で唐突な変化が起るが、彼があわてているわけではない。方々に思い切って切られた傷口が口を開けている。独特の治療法を発明する為だ」。彼以前の音楽家は教会・宮廷が庇護していましたが [ 音楽家は教会・宮廷に属していましたが ]、音楽を庇護してきた教会・宮廷を彼は飛び出して自ら食い扶持を稼がなくてはならなかった (今で云う フリーランス の先駆けでしょう)。教会音楽・宮廷音楽の制約束縛を離れた彼は色々な音楽的実験を試すことができた。音楽形式の完成者ではないことは確かでしょう。彼の歌劇 (「後宮からの誘拐」 「フィガロ の結婚」 「コジ・ファン・トゥッテ」 「ドン・ジョヴァンニ」) は、決して教会音楽・宮廷音楽から生まれはしない。「彼の音楽の極めて高級な意味での形式の完璧は、彼以後のいかなる音楽家にも影響を与えなかった、与え得なかった」──小林秀雄氏のこの文を読んだとき、私の頭に浮かんだのは西行法師でした。小林秀雄氏は西行法師について次の文を綴っています──

    如何にして歌を作ろうかという悩みに身も細る想いをして
    いた平安末期の歌壇に、如何にして己れを知ろうかという
    殆ど歌にもならぬ悩みを提げて西行は登場したのである。
    彼の悩みは専門歌道の上にあったのではない。陰謀、戦乱、
    火災、飢饉、悪疫、地震、洪水、の間にいかに処すべきか
    を想った正直な一人の人間の荒々しい悩みであった。彼の
    天賦の歌才が練ったものは、新しい粗金(あらがね)で
    あった。(「西行」)

 モオツァルト と西行との類似性を私は感じています。そして、この二人の天才を私は大好きです。彼らのような才に恵まれなかった私のような程度の凡人は、彼らの作品から せめて 「この世には こういう人たちもいたのだ、この世も捨てたものじゃない」 ということを知るしかない。でも、われわれ凡人が彼らの真似をすれば、途中で転 (こ) けるよ。

 
 (2021年 2月 1日)


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