anti-daily-life-20210801
  × 閉じる


Happy are those who mourn, God will comfort them! (Matthew 5-4)

 



 小林秀雄氏は、「中原中也の思い出」 の中で次の文を綴っています。

     「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」 と彼は眼を
    据え、悲し気な節を付けた。私は辛かった。詩人を理解
    するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を
    理解するという事は、何んと辛い想いだろう。彼に会った
    時から、私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来た
    が、どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつ
    も新しく辛いものであるかを訝 (いぶか) った。

 私は、不幸にも こういう人物と会う場に身を置いてこなかった──ノーベル賞とかフィールズ賞を獲るくらいの人物であれば、小林秀雄氏の言うような人物はいるのでしょうが、私は そういう人物を書物でしか知らないので、「生れ乍らの詩人(あるいは天才)の肉体を理解する」という直接の体験はない。今思い出したけれど、一度だけ そういう体験をしたことがある、それは私 (30歳代前半) が データーベース 技術を習いに米国 (テキサス州) へ出張したときに──当時、世界初の リレーショナル・データベース を作った ADR 社へ出向いて その内部構造を習いに行ったときに──、ADR 社が主催した晩餐会に出席して、データベース の心臓部を作った ジョン という愛称 (本名を私は知らない) の人物と知りあって、彼の 「耐えている」 様を直接に目にしたことでした。ジョン は、床 (floor) に座って、ウィスキー の瓶を片手に持って眼を据えて瓶の口から ウィスキー を直飲みしていて、私が彼を不思議そうに観ていたら、彼は私を呼んで対面に (床のうえに) 座らせて話はじめた。当時の話した中身の詳細は ほとんど忘れてしまったけれど、彼は私が日本人だとわかったら、次のように話を切りだしたことは鮮明に私は覚えている──「アメリカ は大地で、日本は トラクター だ」。その後に続いた話は覚えていない。ただ、彼が 「(自らの思考・精神に) 懸命に耐えている」 ような様 (話しぶり) だけは今でも まざまざと目に浮かぶ。彼は自らの言うことが途切れるたびに ウィスキー を瓶の口から直飲みした。その様 (さま) には やるせなさが漂っていたので、私は彼の仕草を無言で観ていた。彼の仲間内から事前に 「彼は天才だ」 ということを私は聞いていたので──尤も、彼の仲間たちも天才級の プログラマ たちだったけれど、そういう仲間たちが彼を天才と言うのだから彼は間違いなく天才なのでしょう (凡才の私には彼の天才の度合いを わからないけれど)──、私は天才を前にして ただただ縮こまっていた。ちなみに、彼は、破格の年収をもらっていたにもかかわらず、狭い ボロ な アパート に住んでいたそうです (彼といっしょに仕事していた人から私は そのことを聞きました)。たぶん、ジョン も 「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」 と気持ちを抑えきれなかったのではないか。

 哲学の天才と云われている ウィトゲンシュタイン 氏は、私が愛読する哲学者ですが、彼の 「前期の哲学」 (「論理哲学論考」) では あれほどに切れ味鋭い思考を披露したのに、「後期の哲学」 (「哲学探究」) では いわば 「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」 というふうに言えるほどの悲しみ・辛さを吐露しているように私には思われる──彼が思考していることを わかってほしいけれど、わかってはもらえないかもしれないという もどかしさを私は 「哲学探究」 を読んでいて強く感じています。書物を読んでいて そう感じるので、彼と直接に話していれば いっそう それを感じるでしょうね。芥川龍之介氏は天才について次の文を綴っています──「天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いている」。しかし、ウィトゲンシュタイン 氏のような天才が私の傍 (そば) に居たら、私は きっと やりきれない、私は たぶん 次のように言って彼とは絶縁するでしょうね──「訳のわからんことを ぐだぐだと言って、うっとうしいんだよ、君は」 と。あの ラッセル 氏ですら、ウィトゲンシュタイン 氏の 「後期の哲学」 のことを 「天才が凡夫に成り下がった」 と言ったくらいだから、、、。

 
 (2021年 8月 1日)


  × 閉じる