× 閉じる |
..., if possible, he might not have to go through that time of suffering. (Mark 14-35) |
私達が、少年の日の楽しい思い出に耽 (ふけ) る時、少年の
「少年の日の楽しい思い出に耽る」 理由として、小林秀雄氏は 「彼が過去に賭けているものは、彼の余命という未来である」 と綴った年齢は 47歳 (1949年) のときです──彼が壮年のときであって気力が充実していたときですね、だから 「余命という未来」 というふうに綴ったのでしょう。あるいは、この頃は戦後 4年しかたっていないので、日本の廃墟のなかに立って、今後 どうしていけばいいのかを探っていて、「彼の過去に賭けているものは、彼の余命という未来である」 と綴ったのかもしれない。彼が 70歳のときに (彼が永眠したのは 80歳のときです) 「私の人生観」 を綴っていたならば、「余命という未来」 という言いかたをしたかどうか、、、。私の場合で言えば、私は 今 68歳です。私も たまに 過去を振り返ることがある、過去を振り返ったときに感じるのは、「余命という未来」 ではない、私が今の私として存 (あ) ることを見届けているような気がしています。
私が 「思い出」 として振り返る時代は ふたつ の時代です──小学生の頃だった少年時代、そして自我を持て余していた大学生時代。その ふたつの時代では、大学生時代のほうが私の過去として強く意識する。私の少年時代も大学生時代も象徴的にあらわしている歌 (フォークソング)が 「少年時代」 (井上陽水)、「神田川」 (かぐや姫)、「『いちご白書』 を もう一度」 (荒井由実、バンバン) です──私くらいの年齢の人たちは、これらの歌 (フォークソング) に自らの少年時代・青年時代を重ねるのではないか。それらの歌のほかにも、少年時代であれば テレビ 番組の主題歌 (ナショナルキッド、怪傑 ハリマオ、鉄人 28号、七色仮面、狼少年 ケン、鉄腕 アトム など) を思い浮かべるでしょうし、青年時代であれば、それぞれの人生を振り返って、それぞれ思い入れの歌が様々でしょうが、私の場合では 「精霊流し」 (さだまさし)・「北信濃絶唱」 (野路由紀子)・「星の砂」 (小柳 ルミ 子)・「甘い生活」 (野口五郎)・「私鉄沿線」 (野口五郎)・「傾いた道しるべ」 (小椋佳、布施明)・「想い出まくら」 (小坂恭子)・「僕の胸でおやすみ」 (かぐや姫)・「22歳の別れ」 (風)・「愛はかげろう」 (雅夢)・「白い冬」 (ふきのとう) などです。
私の少年時代は、海辺の半農半漁の村で生まれ育ったので、思い出すのは自然の風景です。その思い出には、人は出て来ない──人のいない自然の風景です。私の感性の原点になっているのだと思う。春には田んぼの土を耕運機で鋤き起こした匂いが田んぼの近くに咲き乱れている菜の花のうえを風が吹き通して運んでいた、夏には海の潮の匂い、早秋には水田に稲が実った匂い、冬には雪と石炭 (の燃えた匂い) が混ざった特有の匂い、村は季節ごとに自然の匂いが充満していた。そして、半農半漁の村は、生活時間帯が家々のほとんどが同じだったので、家々から夕餉の匂いが村中に漂えば子どもたちは遊んでいても (時計など持っていなかったけれど) 家に帰る時刻がわかった。
私の青年時代は、前述した 「思い出」 の歌をみてわかるように、御多分に洩れず、「恋愛」 が いちばんの出来事だった。これについては、語るまい (「熱い悲しい思い出」 として我が胸にしまうのが最上の鎮魂でしょう)。私が 20歳代後半の頃、初めて就職した会社で女性の先輩が新入社員たちに向けて次のように言い放ったのを聞いていて、「あんた、ばか か」 と思った、彼女が我々に言ったのは、「あなたたち、死ぬほどの恋愛なんてしたことないでしょう」 と。「私は そういう (すてきな) 恋をしたわ」 とでも言いたかったのかしら、、、彼女は恋愛 ドラマ の主人公のように自らを思いたかったのかしら、今風にいえば、恋愛で マウント をとって自慢したかったのかな──それぞれの人には それぞれの ドラマ がある、大人であれば それを口に出さない、そして人生の最期 (さいご) まで 「思い出」として (すなわち、自らを形成した大事な出来事として) しまっておくものだよ。楽屋ウラを べらべらしゃべるような ヤツ を私は信用しない。
疾風怒濤 (シュトゥルム・ウント・ドラング) は青年時代の特徴でしょうね、旧習に対して憤怒を覚えるのは青年の強い特徴でしょう。旧習に対して憤怒を覚えない青年のほうを私は寧ろ奇っ怪に思う、若者が既に確立された制度のなかに素直に順応していく──そういう物わかりのいい青年 (いわゆる 「優等生」) を私は好きではない。勿論、人それぞれだから、その人がどういう道を選ぼうが私の関与することではないけれど、私は私の人生として そういう道は歩きたくないし、そうしてきたつもりです。しかし、社会の旧習 (あるいは、制度) を変えるということは並大抵のことではない (私は自らの仕事においてそれを痛感してきました)。壮年 (40歳代、50歳代) の頃は、「彼の過去に賭けているものは、彼の余命という未来である」 のでしょうが、70歳近くになれば、過去を振り返って感じるのは、私が今の私として存ることを見届けているような気がしている。
|
× 閉じる |