anti-daily-life-20220301
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The Worde became a human being and, full of grace and truth, lived among us. (John 1:14)

 



 小林秀雄氏は、「私の人生観」 の中で次の文を綴っています。

     画を見る為に、人々は、めいめいの喜びも悲しみを捨てて
    かかる必要はない。各自が各自の個性を通し、異った仕方で
    一枚の画に共感し、われ知らず生き生きとした自信に満ちた
    心の状態を創り出す。そういう心は、互にどんなに異ってい
    ようが、友を呼び合うものです。

 小林秀雄氏のこの文は、「芸術の存在性」 を端的に表しているのではないかしら? 一枚の画 (彫刻、詩、小説、音楽など) を観て (あるいは、聴いて) おのおのの人が それぞれ異なる感情を揺さぶられ、その感情が互いにどんなに異なっていようが、その作品を共感する──そういう感情が存るかぎり、芸術は存在し続けるでしょうね。そして、作品を観て [ 聴いて ]、そういう感情を いったん 体験したら、それ以前の状態には もう戻れない、二度と素 (元)の白地になることはない。

 私が文学にのめりこむ切っ掛けになったのは、私が中学三年生のとき (あるいは、高校一年生とき、記憶が定かではない)、二歳年下の弟が学校の宿題であった読書感想文の題材 (有島武郎氏の小説 「カイン の末裔」) を彼の机の上に置いてあったのを、私が たまたま 目にして何を読んでいるのだろうと何気なく手にとって拾い読みしたら、その物語が面白くて のめりこんでしまい、ついには 物語の最初から最後まで一気に読破した。それが切っ掛けになって、有島武郎という作家に興味を抱いて、その後に彼の作品を いくつも買ってきて、読みふけった。そして、高校生時代には、文学の読書範囲が広がって、文学作品を多数読むようになって、高校は欠席がちになった──学校を休んで、家にいて文学作品を読みふけった (後日 或る教諭から弟が聞いた話では、私は欠席日数が高校のなかで一番か二番であったそうです)。勿論、高校生が そんな生活をしていれば、大学入試を落ちるのは当たり前で一浪しました、浪人時代にも受験勉強などそっちのけで文学書を読んでいました (一浪したときに 受験勉強もしないで、なんとか二浪しないで、大学に入学できたのは、奇蹟としか言いようがない)。今でも不思議なことは、当時、そういう私を父は一言も怒らなかったということです。

 そして、大学は東京の学校だったので、親元を離れて下宿生活でした。大学は、当時、学生運動が (下火になってきたとは云え) 盛んな頃で、ロックアウト が日常茶飯事であった──私は文学部と商学部を受験したのですが、文学部は落ちて商学部に合格したので商学部に入ったのですが、金銭なんて汚いと本気で思っていた 「文学青年」 が商学部に入って 日々 面白い訳がない、幸い 大学の ロックアウト が続いたので、私は下宿に閉じこもって文学書・哲学書を読みふけっていて、「文学青年」 気質に 益々 拍車がかかった。将来は小説家になりたかったのだけれど、小説を執筆する技術を学習する訳でもなくて、ただただ文学書を読んで 文学が好きだという愛好家にすぎなかった。大学を卒業したら実家に帰って地元で就職するという約束をして東京の大学に行かせてもらったのですが、大学四年生のときに就職するのが怖くなって私は大学院に逃げこんだ──大学院へ進学したのは学習を続けたいという意図など 毛頭 なくて、就職が嫌で、書物 (文学書・哲学書) を読み続けたいという願望が強かっただけです、だから本気に学習する気持ちなど 全然 なかった-苦笑。就職する気など まったく なかったので、修士を修了して博士課程に行こうと思っていたのですが、訳あって──その訳を公にすることは憚られるので公にはしないですが、くだらない理由でした──博士課程への進学を諦めて、修士の後 一年無職になって、就職しました。そんな生活を送ってきた ヤツ が就職しても不満がつのるだけで、30才になるまで、仕事が嫌で嫌で、転職と無職を くり返していました。だから、私は、大学院時代から 30才までの過去を封印しています-苦笑。

 作家になる努力もしないで、文学が ただ好きだった 「文学青年」 の行く末なんて惨めなものです。でも、いったん、文学に取り憑かれたら、それ以前の状態には戻れない。(「文学青年」 の) 惨めさを知って、諦められるものではない。二度と素 (もと) の白地になることはない。そういう状態が今 (68才) に至るまで続いています。そして、私は、今、ドストエフスキー の次の ことば を噛みしめています──「美、それはじつに恐ろしいものだ。それが恐ろしいのは規定することができないからである」。

 
 (2022年 3月 1日)


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