anti-daily-life-20220501
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My friend, I face death every day! (1 Corinthians 15:31)

 



 小林秀雄氏は、「蘇我馬子の墓」 の中で次の文を綴っています。

     生きた人が死んで了った人について、その無気 (なけ) なしの
    想像力をはたく。だから歴史がある。

 この文は、特に自分の身近な人たちについて当てはまるのではないか──親、兄弟姉妹、親友、師と仰ぐ恩人などの身近な人が去世したとき、その人の生活 (生きかた) に我々は思いを馳せるでしょう。私が子どもの頃に育った村では、どの家にも仏壇があったけれど、私が 今 住んでいる アパート は狭小なので、仏壇はあるにはあるけれど小さな箱のような仏壇です。東京などの大都市では住居が狭く、特に マンション (アパート) には仏壇を置く余裕がないのではないか。私が育った田舎では、祖母が まいにち 朝夕に仏壇の前に座って勤行をしていたし、私も祖母の横に座って見よう見まねで読経していました (今でも、そのお経の一部を覚えていて、諳んずることができる)。まいにち 朝夕に仏壇に向かって、亡くなった人を供養していれば、故人との強い つながり を覚えるのは自然でしょうね。そして、故人の生前についての記憶を思い出すか、あるいは故人がやりたかったことを偲んで その遺志を継ごうという思いを強くするか、いずれにしても故人に対して誼 (よし) みの情がなければ、まいにち 御参りすることはないでしょうね。その心の つながり が歴史ということではないか。

 歴史に名を刻んだ有名人に対する思いも そうではないか。身近な人たちとは たとえ 短いあいだであっても時空を共有していたので故人の面影には生々しい記憶があるけれど、一度も面識のない有名人に対しては そういう生々しさはないけれど、たとえば書物を介して そういう有名な故人の思いを感じ取って、「無気なしの想像力」 を働かせて故人を蘇らせる──そういう復原行為を亀井勝一郎氏は 「招魂」 と呼んで大切にしていました。小林秀雄氏の この文も 「招魂」 と云っていいでしょう。正確な史料が豊富に遺されていれば、「歴史」 というものがわかる訳ではない。学問としての歴史学は、学問の性質上、「運動の連鎖 (出来事の原因-結果という因果関係)」 を調べるので、故人 (すなわち、個人) の思いは どうしても考慮されない。しかし、我々の生活においては、個人が主体となって行動して色々な関係を形成していくので、個人の思いが意味をもつ。そういう我々が歴史学の書物を読めば、どうしても 「運動の連鎖」 のなかに、そういう出来事に関与した行為者の思いを探ろうとするのは自然ではないか──たとえば、司馬遼太郎氏の歴史小説 (「竜馬が行く」 「坂の上の雲」 など) は、まさに そういう観点で書かれた小説でしょう。でも、それは あくまで小説であって、「事実」 を 或る個人が 「解釈」 した物語です (念のために言っておけば、そういう歴史小説は 「歴史」 を歪曲するとは私は 毛頭 思っていない。そういう歴史小説は、あくまで一つの 「解釈」 として読めばいい)。迷信にしろ、伝説にしろ、多くの人たちを そう思わせる理由があるから継承されてきたのでしょうね。ただ、「事実」 と 「解釈」 を混同して、或る一つの 「解釈」 を 「事実」 と思い込むほうが私は愚かしいと思う。

 蘇我馬子について、私は、亀井勝一郎氏の著作 「聖徳太子」 を読んで、私なりの馬子像をもっていますが、その像は あくまで私個人の抱いている印象にすぎないし、他の人たちは、それぞれ、独自の馬子像をもっているでしょう。それが当然ではないか、我々は、(故人に限らず) 生身の相手との つきあい のなかでも、そうでしょう。それが私の個人史における 「歴史」 ということになるのではないか。歴史について、ゲーテ 氏は次のように語っています (「鉱物学と地質学」)──

    ある学問の歴史は、その学問そのものを表す。
    或る人の歴史は、その人そのものを表す。

 そして、その人が亡くなったあとも その人の思い (宿願) が誰かに継承されていく。(学問としての 「歴史」 を離れて) ふだんの生活のなかで歴史というものを考えてみれば、我々の歴史とは そういうものではないか。

 
 (2022年 5月 1日)


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