anti-daily-life-20220915
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They looked straight at him, and Peter said, "Look at us!" (Acts 3:4)

 



 小林秀雄氏は、「或る夜の感想」 の中で次の文を綴っています。

     人生とは極めて真面目な芝居であり、出来るだけ上手
    に芝居をしようとする努力が人生そのものだと言えよう。
    俳優は勿論、見物もこの努力に参加している。上手に演じ
    ようとする俳優の技術は、上手に見ようとする見物の技術
    と同じ性質のものである。名優と見巧者とは、完全に協力
    している。お互に相手によって己れを律している。相手の
    うちに己れの鏡を見て楽しむ。人生の友愛は、そういう
    交りを重ねる以外、何処に生れ得ようか。

 私は芸術家ではないので、私の エンジニア としての仕事 (モデル 作成技術をつくるという仕事) の観点から芸術の制作について類推すれば、芸術の表現とは作家が感じた モノ (something)を再造する技術であって、先ず造られるべき モノ のすがたが心のなかで わかっていなければならないでしょうね。その モノ を的確に表現できる技術を駆使できる人が芸術家であって、その モノ を感知してはいるが表現できる技術をもっていない人たち (「眼高手低」 の人たち) が鑑賞者となるのでしょうね。

 芸術家の目的は、じぶんの描こうとする モノ を人々に納得させるようにすることであって、鑑賞者たちがそれに感応するのでしょう。芸術は、実生活のなかで実用として役に立たないかもしれないけれど、人々の精神 (魂と云ってもいい) を揺さぶる。そして、鑑賞者 (審美眼を有する人たち) が芸術を批評して、その批評が次の芸術を生むこともある。たぶん、われわれは批評するとき、作品を判断するよりも じぶんを判断しているのではないか (少なくとも、私はそうです)。同じようなことが人生についても言えるでしょうね、それが小林秀雄氏の この文の主旨でしょう。

 小林秀雄氏は、彼の他の評論 (「様々なる意匠」) のなかで次の文を綴っています──

     人は如何にして批評というものと自意識というものとを
    区別し得よう。彼 (ボードレール) の批評の魔力は、彼
    が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に
    存する。批評の対象がおのれであると他人であるとは一つ
    の事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を
    懐疑的に語る事ではないのか!

 
 (2022年 9月15日)


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