anti-daily-life-20221101
  × 閉じる


What little faith you have! Why did you doubt? (Matthew 14:31)

 



 小林秀雄氏は、「好色文学」 の中で次の文を綴っています。

     喜びを新たにするには悲しみが要り、信を新たにするには
    疑いが要る。

 感情は、心的過程の グラデーション だと思う。しかも、(禅で云う円相のような) 円になっていて、喜びと悲しみ、信と疑いという両極が紐の結びのように結ばれているような状態を私は想像します。喜びと悲しみ、信と疑いを二律背反のように 「解釈」 すれば対立概念となるのでしょうが、私は そういう単純な対立概念など信じない。私は システム・エンジニア を職としていて、特に モデル 論 (事業分析・データ 設計のための モデル 作成) を専門にしているので、思考するときには 「補集合」 (および、「対偶」) を考える癖が強い。

 「補集合」 を考えるとなれば、いきおい 対立概念の思考をしているように思われるかもしれないのですが、一つの集合を切断した二つの部分集合は、たがいに補集合となると同時に同値類です──ふたつの部分集合のあいだには間隙は存しない。数学的に云えば、近傍・連結・稠密性と完備性ということを考えることになるのでしょうが、そういう専門的なことは数学者ではない私には厳正に立証することができないので、数学的概念を 「常識」──「常識」 という語を多くの人たちが同じように考えているという意味ではなくて、デカルト 風に ボン・サンス とか レーゾン の意味で私は使っていますが──として大まかに使って、感情は心的過程の グラデーション であると言っているだけです。尤も、感情の変化は、生理学者が述べるとすれば、ホルモン 分泌の変化となるでしょう──それは確かにそうなのでしょうが、そう言ってしまえば元も子もないので、「文学青年」 の私は、感情のことを、私が事態・事物に対する態度あるいは価値づけするときに観られる心的過程と捉えています。

 自己啓発本なんかでは、ポジティブ・シンキング とか 「自分自身 (の才識・体験) について自信を抱くこと」 を説いているようですが、自信を持てと言われて直ぐに自信を持てる訳でもないでしょう。寧ろ、自らの力 (実力) を疑い、疑い続けて もっと力をつけたいと思って精進するほうが、本人は自信などないと思っていても力は確実についていくでしょう。「文学青年」 というのは省察を好む、私が読書 (文学・哲学・数学の書物) を通して得た財産は、「自らを疑う (そして積疑)」 という思考です。マシーン (機械) は、自らを疑うことができない (私の証人は、デカルト と チューリング です)。そして、積疑の果ての自己信頼たる悟性、これが デカルト の 「我思う、故に我あり」 ということではないか。古人も云ったではないか、「愛憎は表裏一体」 と。

 
 (2022年11月 1日)


  × 閉じる