anti-daily-life-20230401
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Don't be afraid, only believe. (Mark 5:36)

 



 小林秀雄氏は、「トルストイ を読み給え」 の中で次の文を綴っています。

     若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕
    はいつも トルストイ を読み給えと答える。すると必ずその
    他には何を読んだらいいかと言われる。他に何にも読む
    必要はない、だまされたと思って 「戦争と平和」 を読み
    給えと僕は答える。だが嘗て僕の忠告を実行してくれた
    人がない。実に悲しむべきことである。あんまり本が多
    過ぎる、だからこそ トルストイ を、トルストイ だけを読み
    給え。文学に於て、これだけは心得て置くべし、というよう
    なことはない、文学入門書というようなものを信じては
    いけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、
    恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが
    大事である。

 文芸の書物 (小説・詩など) を読む順序なんて──たとえば、入門書から専門書へというような段階的順序など──ないでしょう。文芸の書物は、読み手にとってみれば、作家の個性がすべてであって、作家の精神から出てきたもの (something) について感応するほかはない。

 私は、高校卒業後、大学受験に落第しました。落第したのは当然であって、高校での欠席日数が最多に近く、受験勉強をしてこなかった。それでも 受験は なんとかなるだろうと高をくくって (なめていた?) 国立大学を 2校受験しました──当時 (50数年前) の受験制度では、国立一期校と国立二期校があって、それぞれ 1校ずつ受験しました。当時は 「四当五落」 (受験勉強に 一所懸命 励んで、睡眠4時間なら合格するが、5時間なら落ちると いう意味) という言いかたがされるくらい受験地獄でしたので、受験勉強を まともに してこなかったような ヤツ が合格する訳がない。私は、高校を 多々 欠席して、家で文学書ばかりを読んでいました。当時 読んでいた作家/書物は、有島武郎、西洋文学の翻訳本 (ヘルマン・ヘッセ、レイモン・ラディゲ)、そして キリスト 教関係の書物でした。

 いわゆる 「浪人」 になっても、私は受験勉強をしなかった。予備校の入学金・授業料を オヤジ (私の父) が払ってくれたのですが、私は予備校には 数日 顔をだして以後 まったく行かなくなった。家で ひたすら 文学書を読んでいました、読書範囲は広がって、前述した作家のほかに川端康成、三島由紀夫、中島敦、梶井基次郎、亀井勝一郎、小林秀雄、八木重吉などの日本作家/評論家/詩人や、スタンダール、バルザック、モーパッサン、ロマン・ロラン、ジッド などの フランス 文学を翻訳で読むようになって、イプセン (ノルウェー の劇作家) や、現代東欧文学全集のなかから数巻選んで買って読んでいました (第 1巻収録の 「ノンカ の愛」、第 8巻の 「尼僧 ヨアンナ」を愛読していました)。天気のよい日には、富山城址公園に出向いて、ベンチ に座って、温かい日ざしのなかで、「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」 を読んでいました──「戦争と平和」 には登場人物が多いので (しかも、登場人物の名前が カタカナ の長い名前が多いので)、私の頭が ごちゃごちゃになって、読み続けるのに辟易したことを今でも覚えています。

 文学に取り憑かれた若者が受験勉強に対して身が入る訳などない、再度の受験では国立大学 2つ (一期校、二期校) と、いわゆる 「滑り止め」 として私立大学の 1つ (2つの学部) を受験しました──当然ながら国立一期校を落第しました、国立二期校を受験する前に私立を合格したので、私は国立二期校を受験したくなかったのですが、わが家は貧乏という訳ではなかったけれど裕福というほどでもなく、しかも 弟が翌年に大学受験を控えていたので、入学金・授業料の高い私立ではなくて国立に行ってほしいと オヤジ は願っていて (なおその上に、当時、地方では [ 私の通っていた高校では? ] 私立は国立の下位とみなされていて) 、私の私立入学がいいのかどうかを オヤジ は悩んで、オヤジ は叔父さんに相談していました。叔父さんと相談して、オヤジ は私立入学を許してくれたので、私は国立二期校を受験しないで、私立に入学しました。受験勉強を ほとんどしないで私立に合格したのは、私立の受験科目が 3教科だったので、私は文学・歴史・英語に興味を抱いていて、それらの書物 (日本史では参考書など) を 日頃 読んでいたからであって、たまたま運がよかったとしか言いようがない。

 ただ、私が合格した学部は商学部であって、文学部は不合格でした。「文学青年」 が商学部に入って、うれしい訳がない。このことについては、かつて綴っているので割愛します。当時、大学では学園紛争が下火になったとはいえ、火勢が衰え消える寸前に断末魔のように急に燃え盛るように、学生運動家の内紛闘争 (革マル派 vs 中核派) が激しくなって、大学は ロックアウト されることが多かった。これを幸いに、私は下宿に閉じこもって文学書・哲学書を読み漁っていました──当時、ロシア 文学を夢中になって読んでいました。ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーリキー、チェホフ、ショーロホフ を盛んに読んでいました。小林秀雄氏は、トルストイ を奨めていますが、私は大学時代に トルストイ を読んだかどうか思い出せないくらい トルストイ の印象は薄い (浪人時代に トルストイ を読んだときの苦い記憶が大学時代の読書の追憶に影を落としているのかもしれない、、、)──でも、彼の作品のなかで、強烈に記憶にのこっている作品が一つある、それは 「クロイツェル・ソナタ」 です。

 トルストイ が文学の天才であることは論を俟 (ま) たない。でも、私は彼には惹かれなかった、、、しかし 小林秀雄氏の言うように、「文学に於て、これだけは心得て置くべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である」 ことは、一介の 「文学青年」 にすぎない私でも そう思う。文学に ハマ れば、自 (おの) ずと、好きな作家の全集を買い求めて、作家の作品を読み込むのではないか──まるで、生身の恋人と話しているように、書物という身体を介して作家 (の精神) と語らい、作家 (の個性) を知るようになるのではないか。「文学青年」 は、作家論/作品論を書きたいと思うほどの好きな作家を 数名 くらいは親しんでいるはずです。

 
 (2023年 4月 1日)


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