anti-daily-life-20230515
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God's choice was bassed on his call, and not on anything they had done. (Romans 9:11-12)

 



 小林秀雄氏は、「『白痴』 について」 の中で次の文を綴っています。

     どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ、人は
    選ぶのである。そこまで人は追い詰められねばならぬ。

 この 「白痴」 は、一般名詞の意味の 「知能が いちじるしく劣っていること」 ではなくて、ドストエフスキー の作品名のことです。そして、この文は、人生のなかで重大な選択決断を迫られる思考の極限状態を述べていますね。

 生活をしていくうえで、まいにち が選択の連続でしょう──というのは、生活のなかの進路は未来に広がる可能性の中から一つを選んばなければならないのだから。その選択は進学・就職 (転職をふくむ)・結婚・住居購入など人生の大きな岐路 (運命の岐路) に関わる選択もあれば、食事・買物・旅行などのような ささやかな選択もあるでしょう。いずれにしても、多くの可能性をはらんだ未来の観念が未来そのものよりも豊かなのであって、選択したあとの所有よりも獲得する希望に、すなわち現実よりも夢に大きな魅力を感じるのが我々の性質ではないか。或る調査によれば、我々は、日々、数万回の選択 (判断) をしているし、そして他の調査によれば、いったん選択して所有した物事に対して我々の喜び (幸せ) が継続するのは 2年くらいだそうです。夢が現実になって 2年くらいたてば、その現実に慣れてしまうというのが我々の性質のようですね。

 さて、生活のなかで、「どちらを選ぶか、その理由が考えられぬ」 ほど追い詰められる体験を私はしたことがない。進学・就職 (転職) では、私は ほとんど まじめに考えないで当時の自らが置かれた局面の流れのなかで受け身で選んできたし──このような態度は、自律的・自発的な 「選択」 とは およそ 言いがたい (苦笑)──、結婚についても私は (結婚するつもりはなかったので) 身近な人たちの勧めに圧 (お) されて私は断れなくて見合い結婚しました。結婚後 3年ほどして独立開業したのですが──長男が誕生する 2ヶ月くらい前に独立開業したのですが──、それも周りの人たち (或る顧客と私の秘書) から勧められたのであって、私自身は積極的に独立しようという気はなかった。30数年前、独立開業は、旧商法の制約が強くて今ほど普通ではなかった。そして、私は、当時勤めていた会社では、破格の待遇をうけていて、独立開業する理由など取り立ててなかったし、独立してやっていけるかどうかを考えたときに不安しかなかった。でも、自分の行く先を まじめに考えないまま、私は独立しました。

 以上に述べたように、人生の重大な選択をしなければならないとき、私は 「追い詰められて」 自発的に決断した訳ではない、おそらく 多くの人たちも そうではないか。自発的に選択した訳ではなくて──そうかといって、一時的な衝動に駆られて選択した訳でもなくて──、その時々の流れに逆らわずに流されるままに来たけれど、結果的に 私は進学・転職・結婚・独立開業には不満を感じていない、今振り返ってみて寧ろ満足しているというのが正直な感想です。私が自らの意志で選択した進路は、40歳のとき、モデル 作成技術を創ると決断したとき、そのときだけです (この点については、本 ホームページ のあちこちで綴っているので、割愛します)。

 ドストエフスキー のような歴史に名を刻んだ天才は、我々のような程度の凡人には計り知れない思考力を駆使して人生を考えているのでしょうが、我々凡人は そもそも 「人生」 や 「人性」 を真摯に・詳細に四六時中 考えてなんていないでしょう。そんなことを言う オマエ は、だから 凡人なんだ、と非難されそうですが、ドストエフスキー のような天才と己れを同一視することこそ尋常じゃないと私は思う。

 
 (2023年 5月15日)


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