2005年 3月16日 |
「はしがき」 を読む |
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2010年 2月16日 補遺 |
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当時(1998年)、執筆は、当然ながら、全力を尽くした。T字形 ER手法は、その後も、実地に使いながら、有効性・単純性を験証しながら整えてきたし、さらに、理論的な検証をして──それをやったのが、「論理 データベース 論考」 であるが──、理論的な整合性も証明してきた。そして、いまでも、T字形 ER手法は、改良の途上にある──モデル (modeling) のために使った ロジック は、事実的対象 (環境) の変化に対応して、つねに、改良しなければならない。改良は、おそらく、小生が生きているあいだ──思考力を喪うまで──、継続されるでしょう。 T字形
ER手法そのものは、本書を執筆する以前から、実地に使っていた──ただし、当時、技術的にも、詰めが粗かったし、理論的な検証をしていなかった。T字形ER手法を、はじめて、まとめたのが、本書である。いまから振り返れば、本書の中身は、技術的にも、理論的にも、拙い。 「はしがき」 のなかで、小生が訴えたかった点は、システム 作りに関する 「常識 (正確には、プロダクト が マーケット・シェア を占めて得た defacto standard)」 に対する抵抗力であった。その訴えを綴った文を、以下に、「はしがき」 から、そのまま、抜粋する。 思想とか体系とかいう言葉が、以前ほどに信用されなくなった現代においては、技巧とか多数派の形勢とか 願わくは、本書が単なる実用本位の技法解説書としてではなくて、データ
構造を考えるために役立つ思索の
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[ 補遺 ] (2010年 2月16日) まず、「黒本」 を絶版にしたことを記しておきます。「黒本」 を絶版にした時期が いつ頃なのかを私は正確に記憶していないのですが、たぶん、「赤本 (データベース 設計論──T字形 ER)」 を出版した直後 (2005年) だと思います。というのは、「論考 (論理 データベース 論考)」 (2000年) で、T字形 ER手法の構文論を再検討し、かつ、意味論の前提を改変して、さらに、「赤本」 で意味論を補強したので、「黒本」 で述べられていることが旧套 (きゅうとう、古い やりかた) になったので。そして、「赤本」 では、T字形 ER手法という呼称を TM という呼称に改めました。というのは、T字形 ER手法の体系と TM の体系は、見違えるほど変わったので。ただし、技術そのものは、それほど変化していない。ということは、理論的な証明が一変したということです。言い換えれば、T字形 ER手法は、理論的に不備だったということ。 「理論が変わっても、技術が さほど変わっていないのなら、われわれ実務家にとって、理論なんて どうでもいいじゃないか」 と私の眼前で言ったひとがいましたが、無責任な言い草だと思う。たとえ、百歩譲って、実務家にとって理論が どうでもいいとしても──そんなことは戯言ですが──、モデル を作った本人にしてみれば、無矛盾性・完全性の証明されていない技術を使ってくれとは断じて言えない。 「黒本」 は、T字形 ER手法を初めて体系立って記述した著作でした。当時、T字形 ER手法は、コッド 正規形を実地に使いやすいようにするために、コッド 正規形を基底にしながらも、「event と resource」 という概念を導入して関係文法を整えました。その関係文法は、全順序の 「関数」 を一律に使わない文法にしました──言い換えれば、全順序と半順序を混成した文法にしました。ただ、その文法は、「event」 (全順序) と 「resource」 (半順序) という性質に対応して 「関数」 の適用法を変えたのであって、entity を 「集合」 として考えた場合に、さほど、やっかいな論点になるとは思っていなかった。そのために、T字形 ER手法は、コッド 正規形 (完備性の証明された コッド 関係 モデル を前提に作られる正規形) を (意味論的に) 単純拡大したにすぎないと思い込んでいて、理論的な証明などいらない──言い換えれば、コッド 関係 モデル を起点にしているかぎり、理論的な証明はいらない──と思い込んでいました。ただ、「event-対-resource」 の文法が──つまり、全順序の関数も半順序の関数も使えない関係文法が──私の頭のなかで宙ぶらりんになっていました。その宙ぶらりんを しかるべき置き所に収めるために、その後、理論的な検証をしなければならなくなった次第です。そして、「論考」 と 「赤本」 を執筆しました。 「論考」 と 「赤本」 の観点に立って、「黒本」 を視たら 「黒本」 は理論的に拙かった──すなわち、技術の説明において、理論的な間違いを いくつか犯していたことに気づきました。そのために、「黒本」 を絶版にした次第です。 ただ、本文に引用された 「はしがき」 の抜粋文を読んで、私は、いまでも、思想とか体系に関して同じ感を抱いていることを再認識しました。 「論考」 と 「赤本」 を執筆するために、私は、数学・哲学を学習しました。その学習では、数学の個々の技術ではなくて──勿論、数学の式が技術で記述されるかぎり、個々の技術を習得しなければならなかったのですが──、モデル の 「思想・体系」 と向きあうことになりました。しかも、相手は天才たちです。「黒本」 を出版したあと、(それを改訂するために、) 私の生活は、とても辛い状態になった。 いま、私のてもと [ 机の側 ] には 「黒本」 は置いてない。そして、私は、「黒本」 を見るのも嫌です──当時、懸命に執筆したにもかかわらず。次回から、「『黒本』 を読む」 に対して 「補遺」 を綴ってゆきますが、その 「補遺」 は、(「黒本」 を直接に参照しないで、) それぞれの エッセー に対して綴ってゆきます。 |
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