2006年 1月 1日 |
基準編-21 例題 ( ビジネス 解析──その 2) |
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2010年12月16日 補遺 |
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本編では、「アトリビュート の帰属性」 を判断する手段 (目安) として、以下の 2つを使っている。 (1)
innate
(inborn) 概念 「innate (inborn)」 概念は、基準編-15 (アトリビュート の null) のなかで導入された 「実体主義的な」 考えかたである。「形態素 (語-構成)」 は、「entity. 性質」 という 「ことばの使いかた」 を目安にしている。たとえば、本編の例で言えば、「品目. 単価」 (正札) や 「受注. 単価」 (時価) など。 「innate (inborn)」 概念は、「黒本」 で導入されたが、次に出版した 「論考」 では破棄された。「黒本」 は、「写像理論」 を底辺にして体系が作られていたので、実体主義的な考えかたが混入していた。「論考」 は、「黒本」 の 「写像理論」 を否定して、「言語 ゲーム」 の考えかたを導入したので、言語の使用形態を重視して、形態素 (語-構成) を 「アトリビュート の帰属性」 を判断する目安にしている。 「アトリビュート の帰属性」 を実体主義的に 「innate (inborn)」 概念で説明するのであれば、当然ながら、ここでは (あるいは、基準編-3 および基準編-4 で)、「カラー・コード」 や 「サイズ・コード」 も論点にしていなければならないが、それを避けている。本編では、寧ろ、語-構成を重視しているので、「写像理論」 から 「言語 ゲーム」 に移る過度期であった。私の記憶が曖昧だが、本編を執筆していたときには、すでに、「写像理論」 に対して、そうとうな疑義を抱いていたと思う。というのは、「論考」 が出版された年は、2000年であって、「黒本」 を出版した わずか 2年後であったから。 ちなみに、アトリビュート の帰属性を前提にして 「ビジネス の解析」 を述べるのであれば、「アトリビュート・リスト」 にも言及すべきであった。 □
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[ 補遺 ] (2010年12月16日) 「黒本」 の後で出版された 「論考」 は、数学の理論・技術を確認した著作です。そして、「論考」 において、T字形 ER法の前提が 「意味の使用説」 に転換されました。すなわち、語 (単語) の 「意味」 は、現実との対比のなかで験証されるのではなくて、語が使用されている 「文脈」 のなかで決まるという前提に転換されました。そして、「論考」 の後で出版された 「赤本」 では、現実と対比して験証される語は、個々の単語ではなくて、「event」 として構成された文であるという説に立っています。「赤本」 は、T字形 ER法の呼称を TM に変えた著作です。というのは、「黒本」 の説を否定して、T字形 ER法を新たな前提で再体系化したので。「いざない」 は、それら──「黒本」 「論考」 および 「赤本」──の検討を終えて、TM を以下の前提で組んでいます。 「合意」 → L-真 → F-真. すなわち、「合意」 された語 (認知) を使って個体を定立して、個体に対して関係文法を適用して 「導出的な (無矛盾な) 真」──その真を L-真と云いますが、構文論上の真です──を構成して、L-真を実現している構成を現実的事態と対比して 「事実的な 真」──その真を F-真と云いますが、意味論上の真です──を験証する、という体系として TM が組まれています。 TM の関係文法は、構文論を重視して、数学の 「関数」 概念を適用しているので、T字形 ER法で relationship と云っていた概念を TM では relation (関数) という概念に変えました。 そのために、「黒本」 では、「個体」 (entity) を一次的に考えて、「個体」 のあいだで 「関係」 (relationship) が構成されるとしていますが、「赤本」 以後では、「関係」 (relation) が一次的で 「個体」 は 「(関数のなかの) 変数」 として考えています。すなわち、TMD (TM Diagram) は 「有向 グラフ」 です。 そうであれば、個々の アトリビュート の帰属性は、「文脈」 のなかで判断されるべきであって、「個体」 を構成するときには、アトリビュート の帰属性に関して こだわるな と指導しています──「常識的に」 考えて、かくかくの 「個体」 のなかに記述しておけばいい、と。そして、TMD が いったん 作図されて 「アトリビュート・リスト」 を記述するときに、個々の アトリビュート (の帰属性) を丁寧に検討すればいい、と。 |
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