2006年10月16日 |
応用編-18 「みなし スーパーセット」 |
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2011年 9月16日 補遺 |
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TM (個体の認知、個体の性質、関係の論理、データの周延、データの多値) に対して、さらに、意味論を強く適用した体系を TM’ という。TM’ は、TM に対して、以下の 2点を増補した体系である。 (1)
みなし entity 「黒本」本編では、「みなし スーパーセット」 を説明しているが──説明そのものは間違ってはいないが──例が適切ではなかったと思う。「取引先」 の例を使ったほうが わかりやすかったのではないか。たとえば、entity として、出荷先・納入先を考えてみる。そして、それらの entity に対して、「取引先」 という 「みなし スーパセット」 を考えてみる。
┌─────────────────┐ │ 取引先 R│ ├────────┬────────┤ │ │ │ │ │ │ │ │ │ └────────┼────────┘ | × 概念的 スーパーセット ↓ ┌───────────┴───────────┐ | | ┌────────┴────────┐ ┌────────┴────────┐ │ 納入先 R│ │ 出荷先 R│ ├────────┬────────┤ ├────────┬────────┤ │納入先コード │納入先名称 │ │出荷先コード │出荷先名称 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ └────────┴────────┘ └────────┴────────┘
「みなし スーパーセット」 を作ったら、次に、「集合と メンバー」 の観点に立って、メンバー が周延しているかどうかを検証すればよい。すなわち、「みなし スーパーセット」 を、もし、1つの セット (集合) として考えれば、納入先と出荷先は サブセット になる。サブセット のあいだには、排他的 OR 関係が成立する。したがって、たとえば、納入先の メンバー は、出荷先の メンバー にはならない。もし、納入先の メンバー であり、かつ、出荷先の メンバー であるような事態が起こる──「まじわり」 が起こる──のであれば、上述した構造は周延していないので、修正されなければならない。 また、当然ながら、「集合と メンバー」 という観点に立ってば、納入先と出荷先のほかに、「取引先」 として考えられる メンバー はないのかどうかを検討しなければならない。たとえば、支払先も 「取引先」 になる。とすれば、ユーザ に対して、支払先の データ は、どのように扱われているのかを問わなければならない。 「みなし スーパーセット」 は、データ設計上、「一般化 (generalization)」 と同じである (「一般化」 については、105 ページ を参照されたい)。 「みなし スーパーセット」 は、entity ばかりではなくて、アトリビュート に対しても使うことがある。たとえば、以下を考えてみる。
┌─────────────────┐ │ 単 価 │ ├────────┬────────┤ │ │ │ │ │ │ │ │ │ └────────┼────────┘ | × 概念的 スーパーセット ↓ ┌───────────┴───────────┐ | | ┌────────┴────────┐ ┌────────┴────────┐ │ 受 注 E│ │ 商 品 R│ ├────────┬────────┤ ├────────┬────────┤ │受注番号 │受注日 │ │商品コード |商品名称 │ │ │受注単価 │ │ │商品単価 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ └────────┴────────┘ └────────┴────────┘
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[ 補遺 ] (2011年 9月16日) 本文のなかで、「『みなし スーパーセット』 は数学上の クラス ではない」 と綴っていますが、その意味は、「T之字」 形式のなかで、右側 (「性質」 の記述) を記述しないという点を注意したかったからです。というのは、数学上の クラス は f (x) として記述され、さらに、階を導入するのであれば、G (f) となって、つねに、「性質」が問われるので──ただし、数学者たちは、「性質」 という用語を使うのを嫌って、f (x) そのものを クラス と云うでしょう。TM は セット 概念を基底にしていて、クラスが その構成員として クラス をもっているなら、その (最下位の) 構成員を セット とするというのが私の考えかたです。クラス 概念を使う観点から言えば、セット は クラス の特殊形と考えていいでしょう。そうであれば、「みなし」 概念は クラス 的考えかたであると云っても間違いではないでしょうね。 |
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