日本史 (通史の概説書) | >> 目次 (テーマごと) |
今回は、概説書 (通史) を紹介する。 以下に記載する概説書を通読して、日本史の流れや歴史観を 「大まかに」 把握してほしい。 なお、時代別 (および テーマ 別) の概説書については、後日、扱う。 |
▼ 入門編 ● 見る 読む わかる 日本の歴史 (原始・古代から近代・現代まで)、朝日新聞社 ● 読める年表 日本史、川崎庸之 他、自由国民社
● 日本史新聞、日本史新聞編集委員会 編、日本文芸社
● 日本風俗史新聞、日本風俗史新聞編集委員会 編、日本文芸社
● 日本歴史新聞 366、小学館 ● この一冊で日本の歴史がわかる!、小和田哲男、三笠書房 ● 日本の歴史文庫 (1〜17)、講談社 ● 日本史百話、笠原一男・井上光貞・安田元久 編、山川出版社 ● 日本歴史故事物語、和歌森・高橋 監修、河出書房新社 |
[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)
私は歴史学の専門家ではないので、歴史の専門家が通史として網羅的・系統的に知っていなければならない基礎知識を学習しなくてもいいと免罪符を得ているので、日本史の書物を 「気軽に」 読み流しています。
今年 (2006年) の 7月に、日本経済新聞が、いわゆる 「富田 メモ」 のなかに記述されていた昭和天皇の 「靖国参拝に対する不快感」 を スクープ して、(小泉首相をはじめとする) 政治家の靖国参拝に関して、賛否が取り沙汰されましたし、「富田 メモ」 そのもの-の信憑性について争議もありましたが、私は、それらの報道 (スクープ 記事と、それに対するさまざまな意見--新聞紙上に報道された意見や、ウェッブ 上に書き込まれた意見--) を読んで、「へえ、そうなんだ」 というくらいの読後感しか抱かなかったし、私自身は、「靖国参拝」 や 「A 級戦犯合祀」 について、それ以上の (報道された記事 以上の) 調査をしなかった。この件について、意見を述べるためには、「戦争」 「神道」 「天皇制」 「東京裁判」 や 「GHQ の戦後政策」 などの膨大な史料を読まなければならないので、私は、みずからの意見を述べるほどの調査を進めるのが おっくうだったので、調査しなかった次第です。ウェッブ 上の書き込みを読んでみたら、述べられている所感は、「意見」 ではなくて 「叙情」 が ほとんどですね。したがって、「どのように感じたか」 という アンケート にすぎないようです。
さて、私は、歴史の専門家ではないので、日本史全般を 「気軽に」 読み流していると前述しましたが、たとえば、「読める年表 日本史」 や 「日本歴史新聞 366」 のような 「読み物」 ふうな歴史本を読み流したり拾い読みするのが好きです。
昭和天皇、「人間宣言」
[ 東京=1946 (昭和 21)]
この新聞形式は、歴史本として、なかなか、洒落た記述法ですね。こういう記述法であれば、歴史本を 「気軽に」 読み通すことができますね。ところで、天皇の 「人間宣言」 詔書 (原文) が英文であることを日本国民は知っているのかしら。
「大化改新の詔」 が発布 大伴家持、「万葉集」 最後の歌を高らかにうたいあげる [ 因幡=759 (天平宝治 3)] 煙草が専売制に--愛煙家、ケムにまかれる-- [ 東京=1898 (明治 31)] 東京宝塚劇場、華やかに オープン [ 東京=1939 (昭和 9)] 「金色夜叉」 連載が始まる [ 東京=1897 (明治 30)]
赤 バイ、さっそうと登場 [ 東京=1918 (大正 7)]
風船爆弾、太平洋を横断か [ アメリカ=1945年 (昭和 20)]
少年法が施行 [東京=1949 (昭和 24)]
少年法は、いま、ホット な話題の 1つですが、戦後 昭和 24年に全面改正されたようですね。
[ 解説 新税制を探る ]
アニメ で登場! 「鉄腕 アトム」
「鉄腕 アトム」 は、アニメーション で登場する前に、実写版が放映されていました (ちなみに、「鉄人 28号」 も、アニメーションがでる前に、実写版が放送されていました)--私は、「鉄腕 アトム」・「鉄人 28号」 の実写版を、いまでも、記憶しています。「鉄人 28号」や 「オックス (鉄人 28号の敵 ロボット) は、ひとが 「かぶりもの」 を着ていたので、等身大というのは、原作の漫画から外れているのですが、それらの番組を私は夢中になって観ていたことを覚えています。私の人生では、「大化改新」 の意味よりも、「鉄腕 アトム」 の影響ほうが大きな比重を占めています (笑)。
藤原公任
私たちは毎日、新しい出来事を記した新聞い接していますが、それはまた過去の多くの出来事に 「日本歴史新聞 366」 は、新聞ふうの 「読み物」 として編んでありますが、日本史の できごと を そういう体裁にして記述し編修することは たいそうな労苦だったと想像します。敬意を表します。 |
▼ 中級編 ● 歴史の読み方 (朝日百科 日本の歴史・別冊)、朝日新聞社
● 新日本史、家永三郎 著、冨山房 ● 日本道徳思想史、家永三郎 著、岩波全書 194 ● 概論 日本歴史、佐々木潤之介 他、吉川弘文館 ● 日本史概説、石井良助 著、創文社版
● 詳説 日本史研究、五味文彦・高埜利彦・鳥海 靖 編、山川出版社 ● 日本全史 (シ゛ャハ゜ン・クロニック)、講談社 ● 日本史新論、保田與重郎、新潮社版 ● 日本農民史、日本歴史地理学会 編、日本図書 ● 民衆史研究の視点、民衆史研究会 編、三一書房 ● 日本文化史 (日本の心と形)、石田一良、東海大学出版会 ● 歴史家のみた日本文化、家永三郎、文藝春秋新社 ● 日本文化史 ハンドブック、阿部 猛・西垣晴次 編、東京堂出版 |
[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)
「入門編」 に記載した書物が 「雑学」 ふうだとすれば--念のために、私は、「雑学」 を軽視しているのではない点に注意して下さい--、「中級編」 に記載した書物は、それぞれの できごと の詳細な記述を目的としているのではなくて--ただし、そういう詳細な知識を前提にして--できごと のあいだに作用したと思われる 「原因・理由」 を探って、「日本史」 として体系化した 「学術書の入門書」 です。 ちなみに、私は、「原因」 と 「理由」 を、それぞれ、ちがう意味で使っています。すなわち、「原因」 は 「化学的な因果関係」 のように、結果に対して、「かならず」 前提となる起因であって否定できないのですが、「理由」 は、(「化学的な因果関係」 ではなくて、) 否定することができる由因として使っています。短く云ってしまえば、「原因」 は 「因って」 という事象であり、「理由」 は 「由って」 という所為だと判断しています。 できごと のあいだに観られる 「原因・理由」 を体系だって記述した学習書として、私は、以下の 2冊を愛読しています。
(1) 新日本史、家永三郎 著、冨山房 「詳説 日本史研究」 は、山川出版社が出版している 「高校生用の教科書」 を さらに詳細に記述した学習参考書です。私は、高校生の頃、山川出版社の教科書で日本史を教わりましたが、そのときの延長 (つまり、慣れ) で (教科書を詳細にした) 山川出版社の参考書を使っている訳ではないようです。「詳説 日本史研究」 の 「はしがき」 には、以下のように、「執筆の態度」 が述べられています。 どのように日本史を学ぶのか
(略) この執筆態度は、後述する 「研究の手引書」 に記載した 「学問としての歴史 (史学)」 が成立するための 「方法論」 にもつながるのですが、「詳説 日本史研究」 の記述は、「私の歴史観」 に合うようです。 「新日本史」 (家永三郎) は、1つの視点を示した体系だった書物だと思います。ただ、この書物を読んで、そこに記述されている体系を、そのまま、「一つの正しい歴史」 として丸暗記しなければ、という前提ですが。私は、この書物を とても気に入っています。ほかの人たちにも、ぜひ、一読してほしいと思います。「体系だって まとめる」 という仕事は、こういうふうな作業を云うのだなと感じた書物です。専門家の人たちが、(一般向けに綴られた) この書物を どのように評価したのかを私は知らないのですが、私にとって、この書物は 「名著」 と品評していい書物です。 |
▼ 図録
● ビジュアルワイド 図説日本史、東京書籍 ● 日本の歴史 別巻 (1) 図録 原始から平安、中央公論社 ● 日本の歴史 別巻 (2) 図録 鎌倉から戦国、中央公論社 ● 日本の歴史 別巻 (3) 図録 織豊から幕末、中央公論社 ● 日本の歴史 別巻 (4) 図録 維新から現代、中央公論社 ● 資料 日本歴史図録、笹間良彦 編著、柏書房 ● 日本史 モノ 事典、平凡社 編 |
[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)
歴史的資料のなかでも、文書・工芸品などを 「史料」 を云い、施設・場所などを 「史跡」 と云うようですが、いずれにしても、(現物を調査しないわれわれ シロート であっても、) 実物を観るのが、歴史に対する--すなわち、過去に思いを馳せる--直接の誘因になるでしょうね。
広隆寺の弥勒菩薩像の複製 (高さ 50p ほど) を私は所蔵していますが--大学生の頃 (30年ほど前) に購入しましたが--、本物の弥勒菩薩像は、ご存じのように、大きな像です (像高 84p)。聖徳太子が秦河勝に与えた渡来仏として伝えられています。本物 (原作) の前に立って像を拝しながら起こる感嘆と、ミニチュア を玩味して抱く愛蔵の感は、物に即して起こる気持ちとして、似ても似つかない情感です。本物は、聖徳太子がご覧になされて、千数百年の後に、私も、同じ像を観たというのが歴史でしょうね。弥勒菩薩は、釈尊入滅後、気の遠くなるような年月 (56億 7千万年) を待って この世に下生 (げしょう) して、釈尊の救いに洩れた衆生を済度するという未来仏ですが--ちなみに、弥勒菩薩は釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩ですが--、当時の人たちは、弥勒菩薩像を前にして、どのような気持ちを抱いていたのだろうか。
史料・史跡の実物を、すべて、観ることはできないので、実物を写し撮った図録・写真が代用として役立ちます。そういう図録を私は重宝しています。史料・史跡は、豊富な写真を収録した 「日本の歴史」 を参考にしていますが、日常生活のなかで使われてきた事物については、「日本史 モノ 事典」 (平凡社) を重宝しています [ 「問わず語り」 490ページ 参照 ]。 図録は、眺めているだけでも、愉しい書物ですね。 |
▼ 研究の手引書 ● 日本史論文の書きかた、中尾 堯・村上 直・三上昭美 編、吉川弘文館 ● 日本史学入門、大久保利謙・海老沢有道、廣文社 ● 歴史認識 (日本近代思想大系)、田中 彰・宮地正人、岩波書店 ● 戦後の歴史学と歴史意識、遠山茂樹 著、岩波書店 ● 日本史の問題点、日本歴史学会 編、吉川弘文館 |
[ 読みかた ] (2006年 9月 1日)
私は史学の専門家ではないので、こういう類の書物を読まなくてはならないという訳ではないので、私の人生に照らしながら、日本史の書物を 「気軽に」 読んできましたが、いっぽうで、私は、システム・エンジニア という職業がら、正確性・構成力という観点を尊重するようです。そういう観点から、私は、史学が学問として成立している前提を知りたいという気持ちも強い。 亀井勝一郎氏と遠山茂樹氏は、「歴史意識」 に関して、論争しました。亀井勝一郎氏の歴史観は、以下の思いで貫かれていたようです(参考)。
正確で詳細な資料に出会ったことで安心してはならない。それは さらに深い秘密に直面したという
現代の歴史家の最大の欠点は、史上の人物を資料化する能力だけが発達して、人間化する能力の 亀井勝一郎氏は、かれのいくつかの著作のなかで、(歴史を振り返るときに、) 「招魂」 という ことば を使っています。亀井氏の歴史観は、史学の専門家から観れば、「文芸的な、あまりに文芸的な」 態度に映るかもしれないですね。亀井氏が主張する 「人間化」 を史学の専門家が感じていなければならないのか、それとも、「資料化」 された文献を読んだひとが そういう 「招魂」 を司れば良いのかという点は、きわめて 「境界線上の」 争点なのかもしれない。ただ、私は、かれの歴史観に同感します。かれの遺した美しい アフォリズム を以下に引用します(参考)。
遠い古代の日本人は文字をもたなかった。家々に伝わる重要な物語や事蹟は すべて暗誦して
語部の多くは女性であった。家に住みつき、家の大黒柱となり、やがてその家の家霊となる
あらゆる芸術、宗教、そして歴史もまた、その中枢となっているのは人間の音声である。
耳で聞くことから、眼で読むことへの転換ほど、精神のはたらきの上に大きな変化をもたらした |
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