2020年 2月 1日 | 「5.2.2 最大最小・極大極小・上限下限および整列集合」 を読む | >> 目次に もどる |
本節は 「順序集合」 を説明しています──「順序集合」 については本節を読めば わかるのですが、実は本節の真の狙いは最後の文 (「ツォルン の補題」 に言及した文) に示されています。 正直に言えば、「最大最小・極大極小・上限下限」 という概念について私は興味を さして抱いていた訳ではなくて、私の知りたかった点は、「順序集合」 とは どういうものなのかということだった。というのは、モデル TM において、モノ を 「出来事・行為・取引 (event)」 と その補集合 (出来事に関与する モノ) という二つの クラス に分けたことが意味論的には有益であっても構文論的に そのような意味論的配慮が適正なのかどうかを私は ずいぶんと悩んでいたからです──「出来事 (event)」 が全順序で並ぶことは すでに説明できていたのですが [ したがって、「関数」 を適用できることは明らかだったのですが ]、「関数」 を適用したときに その補集合を どのように扱えばよいのか が私の悩みだった。 私は 当初 「正攻法 (?)」 に従って ツェルメロ の 「整列集合」 (および、「選択公理」) を使うことを考えていました──その証拠は、本 ホームページ の 「ベーシックス (数学基礎論)」 の エッセー に顕れています。そして、拙著 「論理 データベース 論考」 (2000年出版) でも、(「ツォルン の補題」 には言及しないで)「選択公理」 のみに触れています (私が 当時 「ツォルン の補題」 を知らなかったことが わかる)。確かに、「出来事 (event)」 を全順序に並べた一連の事業過程を説明するには、モデル TM の前身であるT字形 ER法が前提にしていた 「論理哲学論考」 (ウィトゲンシュタイン、「論理哲学論考」 で述べられている 「事態」) と 「整列集合」 を以てすれば充分だった。しかし、拙著 「論理 データベース 論考」 は、意味論上、ウィトゲンシュタイン の前期哲学 (「論理哲学論考」 で述べられている 「意味の対応説」) を否定して彼の後期哲学 (「哲学探究」 で述べられている 「意味の使用説」) に モデル の前提を移すことを主題としていたので、「論理哲学論考」 の思想を継続することはできなかった。 今となっては記憶が曖昧になったので、はっきりした年月を述べることはできないけれど、私が早稲田大学 エクステンションセンター の講師を務めていた時、ゲーデル の 「不完全性定理」 を復習するために、「ゲーデル と 20世紀の論理学 (全四巻)」(田中一之 編、東京大学出版) を読んでいたら、「ツォルン の補題」 を知りました──この補題をはじめて知ったときは衝撃だった、私の頭のなかで 「特性関数」 f (a,・・・m ∨ n) が走って、モデル TM の体系を この考えかたで再体系化できることが一瞬にひらめいた。ゲーデル は、「ツォルン の補題」 のことを 「周知の」 と言っていましたが、数学者にとっては周知でも システム・エンジニア たる私には周知ではなかった (泣)。このときの衝撃は とても大きくて、私は自らの頭の悪さに絶望して、システム・エンジニア を もう辞めようとさえ思いました──この補題を もっと早く知っていれば、こんなに苦労しなくてもよかったのに、そのために費やした犠牲は余りにも大きかった。その時の絶望感を私は (早稲田大学 エクステンションセンター の講座があった日に) 生徒の一人 (N さん、拙著 「モデル への いざない」 の挿絵を描いてくれた 「画伯」、2019年12月14日に去世) に吐露しています。ちなみに、次の三つ命題は同値であることが知られています──(1) 選出公理、(2) すべての集合は整列可能である、(3) ツォルン の補題。 本節は、「順序集合」 に関わる用語の説明しかしていないですが、後述の 「12.3 閉包と外点 (「関係の対称性・非対称性」 の観点から)」 の前提になっています。 □ |
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