2020年 2月15日 「5.2.3 ブール 束」 を読む >> 目次に もどる


 ブール 束 (すなわち、ブール 代数) は、リレーショナル・データベース では当然ながら使っているのですが──たとえば、トラヴァーサル・テーブル (traversal table) での複合検索条件 (Compound Bealean Selection)──、事業分析の モデル TM では (「セット と サブセット」 の関係を除いて) 意識的に使うことはないでしょうね。本節において ブール 束を扱った理由は、前節 「5.2.2. 最大最小・極大極小・上限下限」 を前振りにして、「任意の有限部分集合には必ず上限・下限がある」 ということを述べて、次節以後の 「真理関数」 「恒真性」 への橋渡しとするためでした。事業分析のための モデル 作りという観点からいえば、寧ろ 本文の注釈 (7)(8) に綴ったことが私の関心事でした。

 注釈 (7) では、理論の前提となる 「公理」(仮定) が 構文論上 そなえていなければならない 3要件を述べています──

  1. 無矛盾性
   A ∧ ¬A となるような論理式 A が存在しないこと。

  2. 独立性
   任意の公理 A は、それが属する公理系の他の公理から導かれないこと。

  3. 完全性
   任意の論理式 A について、それが恒真ならば、体系のなかで証明可能であること。

 モデル TM は、構文論上、勿論 これらを満たしています。

 注釈 (8) で述べているように、ブール氏は論理計算の構文論を扱っていますが、モデル TM は 構文論上 、無矛盾性・独立性・完全性を そなえているいっぽうで、意味論上 無矛盾性を判断できない論理式が作られることに私は 「データベース 設計論--T字形 ER」 出版後 (2005年出版、以下 「赤本」 と略称) に気づきました──その論理式が 「対照表」 です。

 「論理 データベース 論考」(2000年出版、以下 「論考」 と略称) のなかで 「ゲーデル の不完全性定理」 を扱っているので、意味論上では無矛盾な体系のなかで A とも ¬A とも判断できない論理式が存在することを気づいていなければならないはずですが、「論考」 は数学基礎論 (および記号論理学) の技術 (構文論) を確認することを目的として執筆したので、当時の私は、「対照表」 を 意味論上 「event (出来事、行為、取引)」 として 「解釈」 するということで齟齬は生じないと判断していました。その 「解釈」 は、そのまま 「赤本」 にも継承されています──ただ、その 「解釈」 が強引であることには幾多の実 データ を モデル 化したときに薄々気づいていました [ その典型的実例が、「在庫」 です ]。

 「対照表」 は、「event」 とも 「(event に関与する) resource」 とも 「解釈」 できる──「event」 を A とすれば、それに関与する 「resource」 は ¬A です、つまり 意味論上 「対照表」 は A とも ¬A とも 「解釈」 できるので矛盾を生じる。モデル TM では、構文論上 無矛盾なのにもかかわらず、意味論上 A とも ¬A とも判断できる論理式が生じてしまうのです。この現象に遭遇して私は随分と悩みました。そして、「論考」 を読み直して、「構文論と意味論」 を強く意識するようになった──「論考」 を執筆したときには 「構文論と意味論」 という用語を使ってはいるのですが、モデル 上 では実 データ を扱うときに それらが混同されてしまっていたというのが当時の実状でした。数学者であれば 「構文論と意味論」 の切り分けは当然のことですが、(言い訳になるかもしれないのですが) 事業で使われている データ を扱う システム・エンジニア は うっかりすると 構文論よりも意味論のほうを重視してしまう──勿論、構文論よりも意味論を重視すれば、論理 モデル にはならない。「構文論と意味論」 の切り分けを私が実感したのは、「モデル への いざない」(2009年出版) を執筆した後のことです。そして、今では、「対照表」 について、次のように説明しています──

  1. 構文論上、resource の束として扱う。
   つまり、記号演算では resource の文法を適用する。

  2. 意味論上、「基本的には」 event として 「解釈」 する。
   ただし、resource としても 「解釈」 できる。

 




  << もどる HOME すすむ >>
  目次にもどる