2001年 6月24日 作成 読書: ノート の作成法 >> 目次 (テーマごと)
2006年 9月 1日 補遺  



 TH さん、あなたが 「(口語訳の) 新約聖書」 や英文の 「漫画」 を読みながら、自らの 「和英辞典」 を作るようになったのを観て、僕は嬉しい。そこで、きょうは、「ノート のとりかた」 の コツ を教えましょう。ノート は、きちんと整理された、読みやすい、後々まで使うことができる ノート にすべきでしょう。

 昔 (パソコン がまだなかった頃)、ノート を作成するということは、とても厄介な仕事でした。僕の経験を振り返っても、まず、でだしから躓いてしまって、「カード」 にすればいいのか、「ノート」 にすればいいのか、ということに悩んだ。パソコン があれば、そういうことに悩まなくても、1つの文献に関して 1つの ファイル を用意して、ワープロ・ソフト を使って、読んだ端から、どんどん、文章を綴っていけばいい。理想的には、書物が デジタル 化されていれば、もっと、いいのですが--「書物を読んだ後」、「FIND」 機能を使って、探している単語を全文走査すればいいのですが--、ちゃんとした書物というのは、1つの 「閉じられた世界」 を形成しているので、初めから終わりまで通読してから、そういう全文走査をしなければならない (通読しないで、そういう全文走査をしてはいけない)。

 さて、ノート の作成法ですが、以下の 5種類の ノート を用意するのがいいでしょう。

 (1) 語彙編: いわゆる「単語帳」、単語と例文を記述する。
 (2) 文法編: 文法や語法に関して、単語と例文を記述する。
 (3) 表現編: 気に入った表現を集める。
 (4) 有職故実編: 有職故実に関して、単語と例文を記述する。
 (5) 鑑賞編: 自らの感想や意見を記述する。

 以上の 5点を、最初は、べつべつの ノート を用意するのではなくて、1つの ファイル のなかに、ごちゃ混ぜにして書き込んでいけば いいでしょう。そして、そういう ノート (覚え書き) を取り終わったら、ノート を最初から読み直して、(「コピー」 機能と 「ペ ースト」 機能を使いながら) 前述した 5つの ノート を作成していけばいい。

 5つの ノート を作成したら、それぞれの ノート を読み直して、「小見出し」 を附与していきます。これが コツ となる点です。「小見出し」 は、後々の検索用に作成します。
  そのためには、僕は、抜粋した文章の上に、ちょっとした指示 (類語、関連語や反対語) を書き綴っておきます。この 「小見出し」 は、抜粋した文章のなかには無い言葉を使います--なぜなら、抜粋した文章なかにあれば、「FIND」 機能を使って走査できるので、わざわざ、「小見出し」 を用意する手間はいらない。
 この 「小見出し」 は、その抜粋した文章が、どんな役に立つのか、そのさまざまな用途をあらかじめ示すために綴るので、(僕が、このやりかたを手本にした) ギットン (Guitton J.) 氏は 「羅針盤」 と呼んでいます。
 以下に (「新約聖書」 から作成した僕の ノート) 例を示しておきます。

 かこ (過去)  
 (類) 終わったこと/ 済んだこと/ 振り返る/ 未来/ 前途/ 目標/
 (和) なすべきことはただ一つ、後のものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
    (PHILLIPPIANS 3-13)
 (英)The one thing I do, however, is to forget what is behind and do my best to teach what is ahead.

 (類) としてあるのが 「羅針盤」 です。ちなみに、「(口語訳の) 新約聖書」 には、「コンコルダンス」 (語句索引) が出版されているので、ノート を作成した後に、自らが拾った語句のなかに漏れがないかどうか、という点を検証できる。以下に、「コンコルダンス」 を紹介しておきますので、入手して下さい。

   「新共同訳聖書 コンコルダンス (聖書語句索引)」、新教出版社

 コンコルダンス を使えば、例えば、「愛」 ということばが、聖書のなかで、どういうふうに使われているのか、ということを即座に調べることができます。ただし、そういう調べかたは、前述したように、聖書を 「通読」 した後にやるべきであって、最初から、そういうことをやれば、「(全体の) 文脈のなかで」 どういうふうな意味を附与されているのか 、という点を無視する危険性が高い。

 TH さん、さあ、書物を読みながら、ノート を取り始めて下さい。□

 



[ 補遺 ] (2006年 9月 1日)

 最近 (この エッセー を綴った以後)、私は、読書 ノート を、ほとんど、作成しなくなりました [ いちぶの書物に対しては、作成しましたが、ノート を作成した書物は、ほんの 2冊くらいであって、読み終えた書物に対して、ほとんど、ノート を作成していない--苦笑)。読書中、気になった文や気に入った文や、のちのち参考にしたい文に対して下線を引くのみで、ノート を作成しなくなりました。言い換えれば、ここ数年のあいだ、私は、のちのち参考にするような書物を、ほとんど、読んでいないということでしょうね。あるいは、私が すでに考えていた着想を確認するために書物を読んでいるにすぎないということでしょうね。

 それでも、読んだ書物のなかに下線を引いているので、下線を引いた文を パソコン のなかに書写して ノート を作ることはできるのですが、書物を読みっぱなしのまま ほっぱらかしにしています。そういう態度は、褒められた読書態度ではないですね。
 今年、いままで (1月から 8月まで) 読んだ書物は、なんと、(読破した書物の数が少ないのに びっくりしたのですが--苦笑) 6冊しか読んでいない。つまり、1ヶ月に 1冊弱しか読んでいない。書物を これほどに読まなかったのは、はじめの体験です。私は、ふだん、移動中の乗物 (電車とか飛行機とか) のなかで読書するのですが、今年に限って言えば、たしかに、移動中に読書したことは少なかった--読書しないで、携帯電話やデジタル・オーディオ・プレヤーで音楽を聴いていました。

 老眼が進んで、乗物のなかで読書するのが おっくうになったのも確かです。若い人たちは、若いうちに、読めるだけの書物を読んで下さい。年老いたら、老眼になって、読書するのが おっくになるから。
 ウィトゲンシュタイン 氏は、書物を あまり読まなかった哲学者ですが、かれのような天才は、それでも、効果的・効率的に--整合的に--思考できるでしょうが、われわれ凡人は、さまざまな考えかたに接しながら、みずからの考えかたを拡張していかなければならないでしょう。そして、さまざまな考えかたに接するには、読書は効果的・効率的な手段でしょうね。

 たとえば、ウィトゲンシュタイン 著 「論理哲学論考」 のなかで述べられている考えかたを、ふだんの会話のなかで得ようと思っても、まず、無理な話でしょうし、たとえ、会話のなかで 「おおまかな」 論旨 (logical thread) を聴いたとしても、書物に記述されているほどの正確性・整合性を得ることは無理な話でしょうね。論旨の正確性・整合性は、書物を読んで追跡するしかない。
 そして、書物を読んで論旨の正確性・整合性を追跡するためには、読書 ノート を作成するのが最適な手段です--ちなみに、「論理哲学論考」 そのものが、ひとつの ノート のような体裁になっていますが、主要概念と重要細目 (と、具体例) を追跡して再体系化して--書物は、会話に較べて、用語法が正確であると云っても、「埋め草」 に近い記述も盛り込まれているので--、いわば、レントゲン撮影写真を作るのが ノート の役割です。著者の考えかたを徹底的に理解しようとするのならば、ノート を作成するのが いちばんに効果的なやりかたでしょうね。

 こういう丁寧な ノート を、読破した すべての書物に対して作成する必要はないでしょう。読書の目的も さまざまであって、研究のための読書もあれば、気晴らしの読書もあるのだから、目的に合わせて、読書 ノート を作成することもあれば作成しないこともあって当然です。
 ただ、或る主張 (書物) を批評するのであれば、読書 ノート を作成して、丁寧に読み下すのが ethics (あるいは、正当な やりかた) であって、一読したまま、たわむれの・思いつきの批評を言い散らすのは、愚行にすぎないでしょうね。




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  佐藤正美の問わず語り