2002年 5月15日 作成 | 日本語の文例集 (その 1) | >> 目次 (テーマごと) |
2007年 7月 1日 補遺 |
ここでいう 「文例集」 というのは、文法の適用例を示した構文論的な文例集あるいは collocation を整理した文例集ではなくて、「表現集」 といってもいい文例集です。つまり、我々が文章を綴っている最中に、どのように物事を表現したらよいのか行き詰まってしまったときに参照する文例集です。 そういう 「表現集」 は、自らの気に入った作家を愛読したり、気に入った文章を ノート に書き写したりしていれば、自ずから蓄積できるのですが、学生の頃には文学書を多読した人々でも、社会人になってからは仕事が忙しくて、なかなか、読書できなくなってしまうことが多いので、いつの間にか、思考が硬直して表現が紋切り型になってしまい、いざ、文章を綴ろうとしたときには、記述の正確性とか文章の構成がなおざりになってしまうようです (この点は、小生自身の大いなる反省ですが、、、)。
以前の 「問わず語り」 のなかで 「アフォリズム を読む」 ことをお薦めしましたが、「文例集」 も、或る意味では、「アフォリズム」 を集めた書物としてみなすことができるでしょうね。 「日ざしを失った日時計のように、忽ち途方に暮れ (「美徳のよろめき」)」
見事な記述なのですが、この記述は小説という作品のなかで成立するのであって、我々が綴る手紙などの文章のなかで、こういう表現を綴れば、「気取り」 にしか映らないでしょうね。
例えば、或る テーマ について文章を綴るときに、ペン を取る前に、そのテーマ (および関連項目) を アフォリズム 集や文例集のなかから探して読めば、文章が書きやすいでしょう。
- 比喩表現辞典、中村 明、角川書店 |
[ 読みかた ] (2007年 7月 1日)
荻生狙徠は、「『訳文筌蹄 (せんてい)』 の題言」 の中で、以下のように述べています。(参考)
だから唐人の詩を学ぼうとするならば、唐詩の言葉を分類して抜き書きし、「文選」 の詩を学ぼう 狙徠は、漢詩を作るのが巧みでした。かれは、宋詩を認めないで、唐詩を手本としました。ちなみに、かれの綴る漢文は、中国人の学者から観て、日本人の作と思えないほど完全な中国語だそうです。そういう力量のあった狙徠が作文・作詩を学ぶ際、上に引用した やりかた をしていました。この やりかた は、本 エッセー で述べた 「文例集」 に似た やりかた ですね。
書物が すべて 電子化されたら、電子装置に搭載されている 「FIND」 機能を使えば、ことば を簡単に探すことができるので、「文例集」 はいらなくなるかもしれないのですが、現時点では、「文例集」 は、本 エッセー のなかで述べているように、作文の手本文として役立ちます。 |
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佐藤正美の問わず語り |