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2007年 8月16日 補遺 |
小林秀雄 氏 (文芸評論家) は以下のように綴っています (「文科の学生諸君へ」)。
ある人の全集を読むという必要を僕は学生諸君に常に説いている。何を読んだらいいかと聞かれると、返答に窮するから、 数々の色々な人々とのつきあいのなかで (数少ない) 親友を得ることができるように、読書も多読のなかで 「座右の書」 を見つけ出すしかない。そして、書籍とのつきあいも生身の友人とのつきあいと同じように長い年数をへて育まなければならないでしょう。 それには全集を読むのがいいでしょう。 一人の著作を精読して対話をすればいい。あとになってから--自らが人生のなかで成長するにつれて--、その著者を拒否するようになるかもしれないし、「読めば読むほど、新たな感動が起こる」 かもしれない。いずれにしても、一人の著者とつきあうという経験は、生身の友人とつきあうことと同じほどに大切なつきあいでしょう--一人の著者の全集を読むというのは 「恋愛」 関係に似ているのかもしれない。 僕が最大に毛嫌いする人物は、入門書を読んで--原典を読まないで--入門書のなかに記述されている数語の キーワード を知って、知っている言葉が話題になったら、「ああ、あれね」 というふうに知ったかぶりして割り切る 「小賢しい」 輩です。そういう奴らは、結果だけを頭に詰め込んで、数語の キーワード を使って他人を批評する怠惰な奴らです。そういう奴らは下衆 (げす) い。 僕が所蔵している全集は以下のとおりです。
- 有島武郎全集 (12巻)、叢文閣 (大正 13年版) (以上のほかに、今、購入を計画しているのは、芥川竜之介全集・小林秀雄全集・中島敦全集です。) 全集に収められている作品をすべて読んだのは、以下の 4つです。
- 八木重吉全集
ほかの全集は、ほぼ 70%程度しか読んでいない。 さて、意表をつくような質問になりますが、もし、無人島に住むことになったとして、書物を一冊だけ携帯してもよい、というふうに言われたら、TH さんは、どの書物を選びますか。僕なら、おそらく、「正法眼蔵」 (道元禅師) になると思います。 さあ、TH さん、古本屋に行って、だれかの全集を買って精読してみてください。 ギットン 氏曰く、(参考)
けっきょく、作者が望んでいるのは、一つの魂のうちで結実することである。彼は読者に書物の行間、欄外を提供し、 |
[ 読みかた ] (2007年 8月16日)
荻生狙徠曰く、「万事、その道を論じるには、まず その道を行った人を論じるのが早道です」。そのためには、全集を読むのが いちばんの近道でしょうね。近道といっても、「てっとりばやく」 という意味ではなくて、全集を 「じっくりと」 読むという意味です。 全集が出版されるほどの人物は、歴史のなかに名前を遺した偉才ですが、偉才の全集を読んでいて感じる点は、偉才であっても駄作を綴っているという点です。偉人の綴った作品が すべて 名作であるとはかぎらないという点を知って、凡人たる私は、ときとして、慰められます。ただ、駄作とは云っても、さすがに、偉才の作品は、全集のなかで--すべての作品のなかで--なんらかの位置を占めています。駄作と云えども、かれらが生涯を通して追究していた テーマ に対して、なんらかの形で関与しているのを感じます。そして、全集を読んで感じた全体像が、作者の 「体温」 ということなのかもしれないですね。「体温」 を感じるためには、作品を成立順に読むのが良いでしょう。
作品を執筆している最中に、たぶん、作者は、自分で自分を確認するように筆を進めているのかもしれない。たとえ、それが、新たな テーマ を対象にしていても。作者が作品とともに成長してゆく様を、われわれは全集を読んで感じることができますが、たぶん、作者は、それらの作品を綴ったときには、作品群の一貫した体系などを意識的に考えてはいなかったでしょうね。ひとつの作品の構想を考えていても--軸をきめていても--、実際に執筆してみなければ、どうなるか わからない、というのが作者の本音かもしれないですね。勿論、推敲をくり返したと想像しますが、推敲は、当然ながら、文を みずからの思いに近づけるための手入れでしょう。テーマ は、作者の人生観で選ばれると思って良いでしょうね。だから、みずからの思いに しっくりとこない テーマ を選んでも、そらぞらしい文になってしまい、読者を惹くことはできないでしょう。逆に言えば、いい加減な態度で人生を観た作品は、--たとえ、構成力・文体が すばらしいとしても--、多くの人たちの共感を得ることはできないでしょうね。いくつかの作品に対して、構成力・文体のみの すばらしさに惹かれたとしても、全集 (ひとりの作家の すべての作品) に対して、そういう魅力を持続することはできないでしょう。全集を読むということは、作者の人生観に対して 「全人的な共感」 をもっているということでしょうね。
私は、詩人肌だとか、芸術家肌だとかいふ乙な言葉を解しない。解する必要を認めない。 |
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佐藤正美の問わず語り |