昨年 (2012年) は、私の生活が大きく変化した年でした──専門としている モデル 論探究の他に新たに [ 「新たに」 という意味は、モデル 論とは全く異質なという意味ですが ] 仕事を一つ始めました。介護の仕事 (care worker) です。昨年 4月に仕事に就いて、今日までの 9ヶ月を、介護職の新人として懸命に仕事してきました。介護職にも様々な形態があるのですが、私が仕事している施設は、住宅型有料老人 ホーム (部屋数は約 30) です──ワンルーム・マンション の様な部屋 (24m
2、約12畳)が 30 ルーム ほどあって、共有施設として ホール (食堂兼談話室) と ナース・ステーション が設備されていています。病院 (内科) が隣接していて、看護士と介護士が常勤しています──私は、ホーム・ヘルパー として働いています (昨年の 6月から夜勤 [ 一ヶ月に 6回 ] 専門として働いています)。
2010年 1月 1日付けの 「ゆく年、くる年」 で綴った志望を私は 2年後にやっと実現できました。
住宅型有料老人 ホーム での介護は──私はその他の介護形態を実習でしか体験していないので詳細を知らないのですが──、それぞれの御利用者様は独立した居住で生活なさっていらっしゃるので、御利用様ごとに介護の対応が様々です──勿論、介護度に依って介護の対応 (身体介助、生活介助) がちがうのは当然ですが、ホール で使う コップ や購読なさっていらっしゃる新聞 [ それぞれの部屋に新聞を配達する時に新聞広告を入れる入れない ]、茶・コーヒー・紅茶の濃度・温度 などもそれぞれにちがうので、御利用者様ごとの身体介助度を覚えて介助 (モーニング・ケア [ 陰部洗浄、着替、洗顔など ]、排泄介助、食事介助、就寝介助) する他に、それぞれの御利用者様の様々な生活介助を覚えるのが一苦労でした。それぞれの コップ の底には、それぞれの御利用者様の名前が書いてあるのですが、配膳の時に コップ の底をいちいち見ていたのでは配膳がおくれてしまう。いっしょに働いている ヘルパー (21歳男性、私の愚息次男と同じ年齢) が私に次の事を教えてくれました──「佐藤さん、それぞれの御利用者様の性質をわかってくると コップ (の好み) がわかりますョ」と。彼の言った事を私は今になって実感できました。ちなみに、「佐藤さん」 と呼ばれるのも、久しぶりだったので──私は、コンピュータ 業界では、「マサミさん」 と呼ばれてきたので──新鮮な気がしましたw。
私に夜勤の技術を指導してくれたのは 28歳の女性介護士です──私に娘がいれば、娘の年齢といっていいのですが、彼女は御利用者様たちからの信用が絶大です。私は彼女を 「ペコちゃん先生」 と呼んでいます──「ペコちゃん」 に似ているという噂ですが、美人です [ 女優の エリザベス・ローム に似ています ]。私は、仕事を覚えるまで、いくつも ヘマ をやらかしてきて、そのつど、彼女をはじめ ヘルパー 仲間が助けてくれました。チーム で働くという事を私は介護の チーム で実感しました。介護の仕事を覚えるまで、私は ヘマ を多くやらかして頭を下げっぱなしでした。私の働いている施設の ヘルパー・チーム は、私を温かく迎えて入れてくれました (感謝)。システム 分析・設計では 「先生様」 扱いされて来た私は、介護では ヘマ をやらかしながら仕事を覚えている見習い生です──「ありがとうございます」 という ことば を私は介護の仕事の中で実感しました。夜勤は二人で チーム を組みますが、夜勤 (16:30から 9:00まで) では、17:30から 20:30 と 6:00から 9:00のあいだは、もうもう戦争状態です。そして、その時間帯以外にも、夜間に ナース・コール が幾度もある。21:00、23:00、1:00、3:00、5:00 には全室を巡視します──その時に、オムツ の パット 交換 (時に、トイレでの排泄介助)や、部屋の温度調整 (と加湿器の水補充)、痰の吸引などをやります。私は 23:00から 2:00まで休憩に入るのですが、普段でも夜行性なので 23:00には眠られない、一時間ほどの仮眠 (1:00から 2:00のあいだ)をとって仕事に戻ります。6:00から 6:30、6:30から 7:00、そして 7:00から 7:30 のそれぞれの時間帯に御利用者様の モーニング・ケア に入るのですが、その時間帯には他の ナース・コール (たいがい、排泄介助) が重なる事があって、8:00 の配膳をおくらせない様に [ ホール・部屋での配膳・下膳も ヘルパー の役目です ] それらのナース・コール に対応しなければならないので、応変の判断 (対応の順番、対応の中身) を瞬時に下さなければならない。仕事を終えて 9:30頃に施設を出た時には、疲労困憊ですが充実感がある。
私が働いた 9ヶ月のあいだに二人の御利用者様を見送りました [ 他界されました ]──その一人は、私も介助してきた女性 (82歳) でした。夜勤の担当日に (ゆうがた) 施設に入ったら、施設長から 「佐藤さん、仕事の前に話したい事があるのですが」 と呼び止められて、「佐藤さんは、[ 御利用者様の ] ○○さんと親しかったので、公の告知の前に伝えておきたかった」 と配慮して下さって、当日の朝に彼女が亡くなった事を伝えられました──私は泣きました、その夜の仕事は辛かった。もう一人は、「ペコちゃん先生」 が介助していた男性 (92歳) です。「ペコちゃん先生」 は気丈な女性なので御利用者様を見送った後でも仕事では いつも通りにやっていましたが、家族同然に介護してきた [ 否、それ以上の献身と言っていいでしょう ] 御利用者様を見送った直後の落ち込みは察して余りある──御利用者様の身体介助・生活介助を数年に及んで ほぼ まいにち 係わって来たのだから。「ペコちゃん先生」 は、28歳という若さで、今まで 5人の御利用者様を見送ってきたそうです。介護形態がどうであれ──巡回、グループホーム、特養、老健、ホスピスなど──、介護職は文字通りに一人独りの他人を直 (じか) に介助する職です。そして、ヘルパー は御利用者様の 「自立」 を支援する職であると学校 [ 私が通った専門学校 ] では教わりましたが、御利用者様も ペルパー も生身の普通人なので──人生を悟った君子じゃない──、互いに相性もあれば、御利用者様の我がままな言動に私は内心では腹の立つ事もある。ヘルパー を 「召使い」 の様に扱う利用者もいますが、介護は介護の技術で評価されるのであって、その意識がなければ、私の様な短気な性質は 疾 (と) うに我慢できなくなって ヘルパー 職を辞めていたでしょうね。私は、事業分析の モデル 技術では法人を援けて、介護では個人を力添えしていますが、法人も個人も 「人格」 を持っています (私は、「人格」 を 「物件」 に対する概念として、自由意志とか個性という意味で使っています)。そして、私は、事業分析の モデル 技術を専門としている コンサルタント であって、かつ ホームヘルパー でもあって、つねに 「黒子」 (あるいは、catalyst) でいる事を本望としている様です。
モデル 論と介護との二つの仕事は──二つの異質な仕事を順次交互にやるのは そうとうに重労働なのですが──、相乗作用がある事を実感しています。ただ、介護の仕事に就いてから私は ホームページ・Twitter の文を綴る時間的余裕が少なくなって、アップロード 回数が減ったのですが──ホームページ は 2012年11月には一つも アップロード できなかったし [ ホームページ を開設して 11年のあいだで初めての出来事でしたが ]、Twitter も以前には まいにち アップロード していましたが、最近は 2日か 3日に一篇の頻度になってしまいましたが──、時間的余裕がないというだけの事であって、思考は寧ろ以前に比べて いっそう炸裂しています。夜勤明けで疲労困憊して家に帰って爆睡した翌日は、思考が迸る。
私が勤務している介護施設は、小手指駅から バス で 5分、更に徒歩で 10分ほどの場所です──拙宅からの通勤時間は 1時間弱です。小手指駅で バス に乗った時点で私は コンピュータ の仕事を一切忘れる様にしています──介護の仕事中には モデル 論の事を一切考えないし、施設の正面を出て帰宅の途に着く時には介護の仕事を忘れる事にしています。そうは言っても、頭をそう簡単に リセット できる訳もないので、家で モデル 論の書物を読んでいる時に御利用者様が今頃どうしているかを フッと考える事があるのですが、それぞれの仕事がたがいに干渉しない様に配慮しています。そうしなければ、二つの仕事を継続する事ができないでしょうね。
どんな仕事でもそうだと思うのですが、マニュアル 通りに技術をなぞっても プロフェッショナル の証しにはならないでしょう。そして、曖昧な技術 [ 不正確な技術 ] を口先で繕ったら、いずれ事故を起こす。この事については、私の Twitter (@satou_masami) で綴っているので、ここでは クドクド と述べるつもりはないのですが、その事を私は介護の仕事で改めて実感しました。
今年は、TM を バージョン・アップ する事を考えています──理論的探究を続けて、技術を いっそう単純にしたい。その体系は、ほぼ整えたのですが、いくつかの細かな検証が pending になっているので、今年は、それらの pending 事項に取り組むつもりです。