2003年 7月 1日 作成 プレゼンテーション の しかた (構成の ルール) >> 目次 (テーマ ごと)
2008年 7月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、プレゼンテーション の しかた について お話しましょう。

 
 あなたは、今度、役員に対して プレゼンテーション しなければならないけれど、プレゼンテーション には自信がない、と言っていましたね。プレゼンテーション の やりかた を綴った書物を読んでも、多くのことが綴られていて、いざ、実践するとなれば、なかなか、それらの やりかた を使うことができない、と あなたは嘆いていましたね。

 私は、過去 20年間、数え切れないほど、講演や セミナー をやってきましたが、プレゼンテーション の当日には、朝、憂鬱ですし、壇上に立つまで、いまだに、怖じ気づいてしまいます (苦笑)。

 プレゼンテーション の しかた を綴った書物には、「自信をもって語る」 ことが述べられていますが、(10回くらい同じことをしゃべるのなら、次第に、自信を感じるでしょうが) 初回の プレゼンテーション では、自信などない、というのが当然な事だと思います。たいがい、自信などという モノ は 「他信」 に過ぎない。というのは、褒められたら自信を感じて、貶されたら落胆するというのでは、そんな モノ は自信じゃない。

 プレゼンテーション を落ち着いて完了するためには、1つの ルール さえ知っていれば良い、と思う。
 プレゼンテーション は 「構成しなければならない」 作品です。したがって、まず、守らなければならない ルール は、「構成する」 という ルール です。この ルール さえ守っていれば、訴えたい論点が曖昧にはならない。

 プレゼンテーション を聴いている人々は、同じことを延々と繰り返されることを嫌いますが、いっぽう、新しいことを次から次と矢継ぎ早に聴かされることも嫌います。したがって、1つのことを違うふうに繰り返す、というのが プレゼンテーション の ルール です。

 この法則は音楽の構成のなかで非常に大切にされています。モーツァルト は、交響曲の構成として、3楽章形式と 4楽章形式のどちらにするか、悩んでいたそうですが、プレゼンテーション では 3楽章形式が良いでしょうね。つまり、同じことを、3度、述べるということです。

   最初に、主題を予告する。
   次ぎに、それを展開する。
   最後に、それを要約する。

 これが、プレゼンテーション の ルール です。
 この単純な ルール を守るだけでも、論旨を明晰に提示することができます。

 ギットン 氏 (哲学者) は、それを以下のように巧みに まとめています。

   これからそれを言おうという。
   それを言った。
   それをこう言ったという。

 [ ギットン, J., 安井源治 訳、「読書・思索・文章」、中央出版社、116 ページ ]

 
 結論になる言葉は、スタート になる言葉です。
 したがって、まず、結論から綴ってみてください。
 たとえば、「以上のようにして、...である」 と。

 プレゼンテーション の資料として作成する ハンドアウト は、(書物の執筆もそうなのですが) プレゼンテーション の順序とは逆になって、以下の順序で作成するのがいいでしょう。

  (1) 結論 (以上のようにして、...である。)
  (2) 本論 (なぜなら、...であるから。)
  (3) 序論 (これからそれを言おうという。)

 プレゼンテーション の やりかた というのは、自らの考えを結論に変化させる技術のことです。
 プレゼンテーション では論旨が明晰であれば良いのであって、自信たっぷりと流暢に語ることは二の次です。
 下世話な事柄を盛り込みながら、面白可笑しい プレゼンテーション をしても、1ヶ月後には、それを聴いた人々の頭のなかには、「面白かった」 くらいの感想しか遺っていないでしょうね。
 聴いていただいた人々の頭のなかに、あなたが刻み込まなければならないのは、あなたの主張です。

 さあ、3楽章形式を守って、ハンドアウト を作成してください。
 そして、訴えたい点を、3楽章形式を守って、懸命に訴えてください。
 そうすれば、聴いてくださった人たちは、あなたの論点を理解してくださるでしょう。

 



[ 読みかた ] (2008年 7月16日)

 「上手な」 話しかた──たとえば、緩急・抑揚が はっきりしていて、速度が メトロノーム で測ったかのように一定していて、ことば が的確に選ばれているような、「話しかた教室」 で訓練されたような、「話術が巧み」 というような、話かた──を私は好きではない。というよりも、そういう話かたに対して、私は嫌悪感を覚えます。まるで、話しかたの技術を忠実になぞっているという様に 「不自然さ」 を感じるからです。言い換えれば、話そのものよりも、話かたの技術が全面に出ているような話しかたを私は好きではない。ただし、私は、話かたの技術を否定するつもりでは、勿論、ない。

 ただ、話術は──それを職業にしている人たち [ たとえば、ニュース 番組の アナウンサー とか、司会者とか、テレビ 通販番組の セールス・パーソン (sales person) とか、落語家など ] を除けば──、われわれの プレゼンテーション のなかで、付随的な技術にすぎないと私は思っています。かれら (ニュース 番組の アナウンサー とか、司会者とか、テレビ 通販番組の セールス・パーソン) は、じぶんの考えを語るのではなくて、すでに構成されている物を報告する (あるいは、司会する、セールス する) という立場にあって、語ることが かれらの プロフェッショナル としての証です。プロフェッショナル として訓練されている かれらの やりかた を そのまま──プロフェッショナル になるための訓練を前提にしないで──真似しても、前述したように、「不自然な」 話しかたになってしまうでしょうね。
 かれらは、話術を数多く実演してきています。数多い実演のなかで、話術を 「体得」 してきています。話術という技術が、もし、あるのであれば、かれらは、そういう技術を数多い実演のなかで調整しながら みずからの ワザ として 「体得」 してきています。われわれのように、ほとんど、そういう実演の機会がない── 1年間のなかで、せいぜい、数回くらいの プレゼンテーション をやれば良いというのであれば──、「話術の法則 (テクニック)」 とか 「これが プロ の ワザ だ、プロ から学べ」 というふうに ミーハー 本に そそのかされて、そういう技術を真似たとしても、「木に竹を接いだ」 ような不自然な (あるいは、見え見えの) 話かたに終わるのが関の山でしょう。

 じぶんの考えを ほかの人たちに説得するための話かたでは、最も重視しなければならない点は、「ロジック の展開法 (logical thread の構成法)」 であると私は思っています。その点を本 エッセー で述べてみました。




  << もどる HOME すすむ >>
  佐藤正美の問わず語り