2004年 7月 1日 作成 | 読書のしかた (読書・思考・文章) | >> 目次 (テーマ ごと) |
2009年 7月16日 補遺 |
多くの概念を習得しておけば、思考が豊かになる (思考対象の数が多くなる) ので、多くの概念を得るためには、多読したほうが良いことを、以前、述べました [ 302ページ ]。 脳の生理に関する書物を私は少ししか読んだことがないので、思考が、脳のなかで、信号になって、どのようにして、伝達されているのか、という点を詳細に述べることができないのですが、ただ、確実に言えることは、思考は、瞬時の出来事だということです。たとえ、脳の生理に関する文献を読んだとしても、思考の 「速さ」 を、我々が、計画して統制できる訳じゃない。つまり、生理現象として起こった思考の中身を、我々は、自ら、検証することができない、ということです。
言語を使って得た知識が──こういう知識の多くは、語-言語か像-言語か音-言語でしょうが──、脳のなかで、どのよう扱われるのか、という点を知ることは、非常に興味深いのですが、脳のなかに、なんらかの 「内的な形」 として収録されている情報を、自ら、検証できないし、検証したいなら (あるいは、ほかの人に伝達したいなら)、再び、言語という外的な記号として再生しなければならない。
とすれば、思考は、「言語を使って『記 (しる) す』」 という行為のなかで整えるしかない。
ウィトゲンシュタイン 氏が記した断章のなかには、(我々凡人が考えるような) 平凡な着想も散見されます。卓越した思想が、一気に、生まれるということは、おそらく、ないのでしょうね。着想は、瞬時に生まれても、思想として整えられるためには、辛抱づよい推敲がなければならないのでしょうね。
捨てずにおきたまえ。 書きたまえ。 ひそかに保存しておきたまえ。 そうすれば、後年、論文を書くとき、 |
[ 読みかた ] (2009年 7月16日)
思索を深めるには、そして、作文法を学ぶには、「良書」 を多量に読んで、それらの書物に対する感想 (あるいは、それらの書物を読んで生まれた着想) を つねに 文として表すしかないのではないかしら──勿論、「つねに」 というのは、「できるかぎり つねに」 という意味ですが、そういうふうにして文を綴っていれば、多量の文が蓄蔵されるでしょう。そして、以前に読んだ書物を 後年 読み返せば、書物から 当時 学んだ知識を その後に学んだ知識や体験と対比して、以前の知識を補強・訂正 (あるいは、ときに、廃棄) したり、新たな着想を得たりするでしょう。さらに、以前に綴った文を 後年 (じぶんから独立した ひとつの) 「読み物」 として読み返して推敲すればいいでしょうね。本 エッセー の最後に引用したギットン 氏の ことば を借用して言えば、読書法・作文法を体得する唯一の やりかた は、「多量に読み得たまえ。多量に書きたまえ。いくども読み返し、推敲し続けたまえ。」 とことになるでしょうね──私はそれを できるかぎり見習うようにしています。 |
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