2005年 2月 1日 作成 | 読書のしかた (「真理」 の探究) | >> 目次 (テーマ ごと) |
2010年 2月 1日 補遺 |
(1) [ 対応説 ]
(2) [ 整合説 ]
(3) [ 実証説 (pragmatism)]
カルナップ 氏は、(1) の 「真」 概念を 「F-真」 といい、(2) の 「真」 概念を 「L-真」 として、的確に、まとめました。
真理とは すべて語り難いものであり、語りつくしえないものである。
ウィトゲンシュタイン 氏かな、と想像したかもしれないですね。「外れ」 です (笑)。亀井勝一郎 氏の ことば です。
(1) 或る 「視点」 が入る。 仏教では、そういう現象のことを、「説似一物即不中」 というふうに云っています──つまり、「示しても、当たらず」 ということです。「真理」 が、そういう性質なので、ポパー 氏は、「真理」 という用語を使わないで、「真理らしさ」 という概念を提示しています。
さて、知識を学び習う際、あるいは、研究を進める際、教師と生徒という関係が前提となります。白紙の状態を起点にして、独力で進むということは無理でしょう。とすれば、「教える (教示する)」 という行為には、教える人の 「視点」 が入り込みます。言い換えれば、「真理を ゆがめる (外す)」 あやうさ があるということです。
「真理」 というのが、「語り難く、語りつくし得ない」 なら、様々な観点から、いくども、探究を試みるしかない──それでも、語りつくすことはできない。読書を進める際に、一人の思想家しか読んでいない、というのでは、あやうい。「真理」 の前では、いかなる天才も、一人の学徒でしかない。その あやうさ を排除するために、多読しなければならない。 |
[ 読みかた ] (2010年 2月 1日)
私 (佐藤正美) は、「真理論」 を学習してきて、カルナップ 氏の 「真」 概念 (導出的な L-真、事実的な F-真) を規範にしています。L-真 とは、「無矛盾性」 を構成する概念です。すなわち、いくつかの前提を定立して、それらの前提を起点にして ロジック で定理を構成する、という概念です。F-真 とは、「完全性」 を構成する概念です。すなわち、L-真として構成された形式的構造を現実的事態と対比して、形式的構成が現実的事態と一致したとき、そして、そのときに限り、「真」 とみなす、ということ。 「真理論」 を学習して私が得た恩恵は計り知れない。「真理論」 を学習する前に、当然ながら、ロジック (数学基礎論、論理学) を学習しました──というのは、ロジック を学習しなければ、L-真を把握できないので。そして、ロジック および L-真を学習したとき、無矛盾な証明は いくつも構成できるということを私は学びました。言い換えれば、「この やりかた しかない」 という断言を私は嫌うようになりました──「ほかの やりかた もある」 ということを実感として学んだということ。したがって、「じぶんの やりかた が一番に正しい」 とか 「しかじかの事態は こうあるべきだ」 と決め打ちする (決め付ける) 態度を私は非常に嫌っています。そして、そういうふうに断言する ひと を私は嫌悪します。その気持ちを本 エッセー で綴ってみました。 |
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▼ 佐藤正美の問わず語り |