2005年 7月16日 作成 | 文を綴るための辞典 (日本語) | >> 目次 (テーマ ごと) |
2010年 7月16日 補遺 |
文を綴るときにも、ことば の意味を調べますが、上述した (様々な) 大型辞典を机のそばにおいて、随時、参照している、という訳じゃない。辞典は、使わなければ、ただの 「紙のかたまり」 にすぎない。文を綴るために使うのですから、語義を的確に使う用例が豊富なほどよいでしょうし、語義の説明も、どちらかと言えば、口語体に近いほうが、定義文そのものを言い換えて借用することもできます。 「問わず語り」 のなかで、かつて (本 ホームページ 118ページ 参照)、 「国語辞書を読んで、類語辞典を多用する」ということを述べましたが、ぼくが、文 (日本語) を綴るとき、つねに、参照している辞典を、お教えしましょう。それは、以下の 2冊です。
(1) 「例解新国語辞典」、林 四郎・野元菊雄・南不二男 編、三省堂。
(1) は、中学生向けとして作られているのですが、おとな が文を綴る際にも、うってつけの辞典です。語義は、簡潔に圧縮した文語体ではなくて、長たらしいかなと感じるほど、口語的・記述的です。そうした理由は、たぶん、(語義を読んで、) 具体的な 「像」 を描けるようにしたかったのでしょうね。
(1) 一匹一匹の イヌ から、その共通した特徴をとりだして、「イヌ」 とは、どういう動物か、と考えるような、1つの類として頭にえがく考え。
(2) 年寄りといえば 「がんこもの」、若者といえば 「未熟もの」 ときめて頭にえがくような、固定した考え。
(3) 実際とは別に、頭のなかにつくっている考え。
「概念」 というのは、そもそも、ひとつひとつの個体を観て──たとえば、「犬 (いぬ)」 を考えてみれば──、それらの共通した
そして、いったん、或る概念が作られると、それらの概念を、逆に、個々の事態に適用するが、事態を丁寧に観ることを忘れて
さらに、「生の」 事態を観ないという態度が進めば、頭のなかに作った概念が、まるで、実物を観たかのような錯覚に陥って、 文を綴る際、ことば の意味を確認するために、辞典を使うことが多いでしょうが、文を綴るために、辞典を使う コツ を覚えてください。「例解新国語辞典」 は、中学生向きの辞典ですが、おとな が文を綴る際に、きわめて、役立つ辞典です。ちなみに、ぼくは、老眼が進んで、小さな文字が見にくいので、「例解新国語辞典」 は、(大きな活字の) 机上版を使っています。 なお、類語辞典の使いかたは、かつて、述べたので、その ページ を参照してください (本 ホームページ 174ページ)。 |
[ 読みかた ] (2010年 7月16日)
取り立てて補足説明はいらないでしょう。 なお、本 エッセー のなかで、愛用の辞典として記載した 「例解新国語辞典」 「ハンディ版 類語辞典」 は、いま、私のてもとにはない。私が或る会社向けの社員教育で 「プレゼンテーション 技術」 「作文作法」 を指導したときに、その会社の社員 (二人) に譲りました──かれらが活用してくれていることを期待しています。 それらの辞典に代わって、いま、私が文を綴るときに使っている辞典 (日本語辞典) は、「ローマ 字で引く 研究社国語新辞典」 「新潮 国語辞典 古語・現代語」 「類語実用辞典 (三省堂)」 です──そして、それらの辞典を補足するために、ときどき、「辞林 21」 「現代国語表記辞典 (三省堂)」 「大事典 desk」 を使っています。 ちなみに、拙著の文および本 ホームページ の 「反 コンピュータ 的断章」 「反文芸的断章」 の文は、本 エッセー で記載した辞典を使って綴られてきました──ただ、拙著について、「黒本 (T字形 ER データベース 設計技法)」 以前の著作は──「黒本」 をふくめて──、読むに耐えない [ 拙い ] 文だと反省しています。しかし、文を ちゃんと綴ることができるようになるには、文を多量に綴ってきた体験をしていなければならない、というふうに じぶんを弁護しています。「三多」──多く読んで、多く書いて、多く推敲すること──が大事であると、私は、やっと今になって [ 57歳になって ] 痛感しています (苦笑)。 |
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▼ 佐藤正美の問わず語り |