日本古典文学 (辞書) >> 目次 (テーマ ごと)


 

 ▼ 入門用、あるいは初級向けの学習辞典

 ● 古典読解辞典、白石大二・新間進一・広田栄太郎・松村 明 共編、東京堂版
  [ 目次: 作品解説、有職故実、文法、修辞、図録、年表 ]

 ● 重要古語小辞典、市古貞次・三木紀人・吉田熈生 著、明治書院 (★)

 ● 例文通釈 古語辞典、江波 熙、森北出版
  [ 読む辞書 ]

 ● 全訳読解古語辞典、鈴木一雄 他、三省堂

 

[ 読みかた ] (2005年10月 1日)

初級向けの辞典を使う際、以下の 2点を考慮したほうがいいでしょう。

 (1) 基本語に関して、「語感」 が丁寧に記述されている。
 (2) 基本語に関して、「典型的な例文」 が豊富に記載されている。

(1) として、「重要古語小辞典」 (市古貞次・三木紀人・吉田熈生 著、明治書院) を、(2) として、「例文通釈 古語辞典」 (江波 熙、森北出版) を、お薦めします。いずれも、絶版ですが、古本店で探して入手して下さい。そういう労力を払っても、見返りのある辞典です。2冊とも、「読む」 辞典です。
「重要古語小辞典」 の 「はしがき」 は、以下の文で始っています。

   夏目漱石は作家になるまで、「坊ちゃん」 の舞台となった松山中学や、熊本の第五高等学校で英語の教師を
   していた。接頭語・接尾語をやかましく言うので有名だったそうである。また若き森鴎外の語学の勉強法は
   キ゛リシャ・ラテン まで遡って語源を確かめることであったという。
   日本の古語についても漱石・鴎外のような学習はできないものだろうか。(略)
   もう一つ、ことばというものを、死んだ文字の塊としてではなく、生きた人間の心としてつかむ学習はできない
   ものだろうか。言葉が心の表現であるのは当たり前のことだが、今までの古文学習は この当たり前のこと
   が忘れられ過ぎている。言葉を 「物」 としてあつかいすぎるのである。勉強の都合上やむを得ないことかも
   しれないが、本当はそうではない。言葉は心の形であり働きなのである。同じ言葉、たとえば、「かなし」の
   「意味」 が時代によってちがうということは、「かなし」 という言葉で表現された それぞれの時代の人の
   心がちがっていたということである。

この辞典 (「重要古語小辞典」) では、基本語 200語に対して、語源と語の構成と、語義のうつり変わりを記述しています。

「例文通釈 古語辞典」 の初版は、昭和 7年です (昭和 7年版の 「参考古語辞典」です)。いま 流通している古語辞典 群の 「原型」 になった元祖です。この辞典は、(大日本国語辞典や大言海を参考にしながらも、) 例文は、すべて、逐一、原典を調べたとのことです。武田祐吉 博士と久松潜一 博士 が 「序文」 を捧げて、守随憲治 博士・今泉忠義 博士・西下経一 博士が 「推薦の辞」 を寄せられたように、学界のそうそうたる (第一級の) 研究者たちが 絶賛したということが、この辞典の 「高い品質」 を示しているでしょうね。この辞典 (「例文通釈 古語辞典」) の最大特徴は、例文です (いっぽうで、語義は、愛想がないほど、簡略な記述です)。この辞典の 「跋」 のなかで、著者は、以下のように綴っています。

   いままで二十五年間 ([ 正美註 ] 昭和 40年の時点ですから、前述した小西先生の参考書と同じように、いま
   なら、50年間と言っていいでしょう) この辞典によって学んだ学生は、数十万に及ぶであろうが、利用者の多く
   は、本書を辞典として使用したばかりでなく、参考書として、第一頁から終わりまで読んだ、それで他に参考書
   の必要はなかった、と述懐している。これが、今ではもう、国語国文学界、教育界の第一線で活躍している人人
   の声である。これこそ本書の性格をよく理解し、活用されたものであって、私は著者として、まことに本望に
   思う次第である。

この辞典に似た性質として--語義の記述は簡略だけれど、例文が豊富である辞典として--、(「読書案内」 には記載しなかったのですが、小生が使っている辞典で、) 「模範 古語辞典」 (金子武雄・三谷栄一 監修、金園社) を、お薦めします。この辞典も、(「序」 によれば、) 「大日本国語辞典」 (上田万年・松井簡治) に負う所が多かった、とのことです。「模範 古語辞典」 は、収録語彙が多いので、初級者向けの 「読む」 辞典ではないのですが、頁数に比べて--付録を除いても、1340ヘ゜ーシ゛ の量で、活字が小さいので、そうとう数の語彙が収録されている辞典ですが--、値段が安い (880円)。

「重要古語小辞典」 の語義と、「例文通釈 古語辞典」 の例文の、それぞれの特徴を活かして併用した辞典として、「全訳読解 古語辞典」 (鈴木一雄 編集代表、三省堂) を、お薦めします。同じ編者 (鈴木一雄 博士) の 「学習 古語辞典」 (旺文社) も、似た構成になっていますので--さらに、学習の便を図るために、それぞれの ヘ゜ーシ゛ の欄外に、「課題」 や 「参考」 が記載されていますが--、お薦めです (ただし、絶版かもしれない)。



 

 ▼ 中級用の辞典

 ● 角川 古語大辞典 (全5巻)、共編、角川書店 (★)
  [ 全巻揃えると高価な値段 (約10万円) だが、お薦め。]

 ● 小学館 古語大辞典、共編、小学館
  [ 角川古語大辞典を揃えられないなら、この辞書をお薦めする。]
  [ コンハ゜クト 版もある ]

 ● 古典語彙大辞典 辞書叢書B、落合直文 編、東出版 (★)
  [ 原題「国書辞典」の復刻版。やや難解に属する古言古語を収拾している。]

 ● 新明解古語辞典 補注版、金田一春彦・三省堂編修所 編、三省堂
  [「新明解古語辞典」に補注を施してある。]

 ● 王朝語辞典、秋山虔 編、東京大学出版会 (★)

 ● 平安朝文学事典、岡 一男 編、東京堂出版

 ● 古典対照語い表、宮島達夫、笠間書院
  [ 主要な古典作品で使われている語彙の頻度を比較している。]

 ● 古語類語辞典、芹生公男、三省堂
  [ 現代語から古語を調べることができる。]

 ● 日本文法大辞典、松村 明 編、明治書院

 ● 日本語文法大辞典、山田明穂・秋本守英 編、明治書院

 ● 日本文学史辞典 (古典編)[ 角川小辞典31 ]、三谷栄一・山本健吉 編、角川書店

 ● 日本古典文学大辞典 (簡約版)、岩波書店
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 縮約日本文学大辞典、新潮社
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 日本文学史 (全6冊)、久松潜一編、至文堂
  [ 改訂版がある、と思う ]

 ● 日本文学鑑賞辞典(古典編)、吉田精一 編、東京堂出版

 ● 日本古典文学研究大事典、西沢正史・徳田 武 編、勉誠社

 ● 有職故実大辞典、鈴木敬三編、吉川弘文館

 

[ 読みかた ] (2005年10月16日)

 古文が、現代人にとって、外国語に近いほど、身近な言語でないのであれば、当然ながら、「良い辞典」 を使うことが大切な点になりますね。古典文学を 「本気で」 学習しようと思うのであれば、「古語大辞典 (全5巻)」 (角川書店) を購入しても、損はしないでしょう--ただ、不思議なことに、第3巻が、新本では、なかなか、入手できないようです (ぼくは、幸いなことに、古本店で、第1巻から第3巻までを入手していたので、第4巻・第5巻を新本で購入しました)。ほかにも、三省堂から 「時代別」 の数多い辞典が出版されていますが--「室町時代」 の語彙だけでも、そうとうな冊数がありますが--、専門家なら いざしらず、われわれ アマチュア が、それらを すべて 揃えるのは、学習力を超えてしまうので、無理に揃えなくてもいいでしょう--ただ、「古代」 編だけは購入しておいたほうがいいでしょう。古文の学習は、中古文が中心となるので、1冊版の コンハ゜クト な古語中辞典では、古代の語彙・文法を詳細に調べようと思ったら、物足りない。

 大辞典は、或る語彙を詳細に調べる際に使うので、常用する辞典ではないでしょうね。常用する辞典は--入門編で記載した学習辞典を、ほぼ、使いこなしたら--、中辞典になるでしょう。中辞典として、「小学館 古語大辞典 (コンハ゜クト版)」 と (「読書案内」 では記載しなかったのですが、) 「角川新版 古語辞典」 (久松潜一・佐藤謙三 編) を、お薦めします。「岩波 古語辞典」 (大野 晋・佐竹昭広・前田金五郎 編) も使いやすいです。個人的には、ぼくは、(前回も言及しましたが、コンハ゜クト な) 「模範 古語辞典」 (金園社) を使うことが多い。

 古語辞典は、需要が少ないからか、(ハ゜ソコン で使う) CD-ROM 版が、ほとんどない--三省堂の辞典群のなかに収録されている CD-ROM 版しか、ぼくは知らない。中辞典は、携帯するには、かさばるので--「模範 古語辞典」 は、携帯できるほどの小型版ですが、それでも、鞄に入れたら、かさばるので--携帯用として、「精選 古語辞典」 (福音館小辞典文庫) を、お薦めします--大きさは、たばこ の箱くらいです。ただ、老眼の ぼく には、活字が小さいので、眼鏡を外して、読まなければならないのが辛い (苦笑)。

 古典作品を読むために、古語を古語として--古代・中古・近世で使われ、現代では、もう、使われていない語彙として--学習するのであれば、「古語辞典」 を使えばいいのですが、(現代では、「廃語」 となっている語彙を収録した) 「日本語」 として語彙を考えるのであれば、古語と現代語をいっしょに収録した辞典が役立つでしょう。そういう辞典として、「大日本国語辞典」 (上田万年・松井簡治、冨山房) 「大言海」 (大槻文彦、冨山房) および 「新潮 国語辞典」 (久松潜一 監修、新潮社版) が定評を得ています。ぼくは、いずれの辞典も所蔵していますが、いま、たまたま、てもとにあった 「新潮 国語辞典」 を使って、「驚く」 を調べたら、古代では (および、中古までは)、「起きる」 という意味であって、中古以後に、「意外な事に びっくりする」 という意味になったことが、例文から判断できます。
 - おどろき (覚) て かき探れども (万4、741) [ 目ざめる ]
 - 風の音にぞ おどろかれぬる (古今、秋) [ 目ざめる ]
 - 起し給へば (略) ふと おどろきぬ (源、空蝉) [ 目ざめる ]
 - 天地驚くばかり仕うまつらん (宇津保、吹上) [ 意外な事に びっくりする ]

 そして、「驚き」 (動詞 「驚く」 の連用形の名詞化) は、「驚き顔」 のような語構成になって、「びっくりした様子」 になることが、源氏物語の例文として記載されています。
 - おどろきがおにはあらねど (源、野分)

 「驚かす」 では、「注意をよび起こす」 とか 「音信をなす」 という意味もあることが、源氏物語の例文として出ています。
 - うち忘れたらんことも おどろかし給へり (源、初音) [ 注意をよび起こす ]
 - 通ひ給ひし所々よりは、恨めしげに おどろかし聞え給ひ (源、葵) [ 音信をなす ]

 「驚く」 の語感は、たぶん、「覚」 と 「愕 (駭)」 の2系統なのかもしれないですね。さて、そうなのかどうか、という点を、大辞典を使って、丁寧に調べてみてください。作品のなかで使われている語彙に対して、正しい語義 (あるいは、解釈) を与える作業は、膨大な資料を地道に調べなければならないので、専門家にしかできないでしょうが、或る語彙に関して、すでに、通説になっている語義を拝借して、詳細に述べることは、われわれ アマチュア でも、大辞典と中辞典を巧みに使えば、できるでしょう。逆に言えば、そういうことが巧みにできても、専門家ではない、ということです。

 古文を読むときに、むずかしい点の1つは、文法でしょう。文法に関しては、大辞典を、1冊、備えていたほうがいいでしょう。たとえば、中古文の散文には、「めり」 が多く使われているのですが、和歌では、ほとんど、使われていないようですし、古代や鎌倉時代でも、ほとんど、使われていないようです。「めり」 は、「見 (ミ) 有り」 の約とされ、「らむ」 と対比される語のようです。「らむ」 が、見えないものを推測するのに対して、「めり」 は、眼前にあるものを推量するそうです。基本的な助詞・助動詞に関して、大辞典を 「読めば」 いいでしょう。
 ちなみに、助動詞の 「めり」 とは違う語彙として、名詞的・動詞的に使われている 「めり」 は、「花伝書」 に出てきて、笛・尺八の音調を下げることを云います--「かり」 と対語になって、「めり」 は 「低くする、減る」 ことであり、「かり」 は 「高くする、増やす」 ことです。そして、興味深いことに、現代でも、「めりこむ (減り込む)」 という言いかたがありますね。




 

 ▼ 上代の語彙(および文法)を勉強するための辞書

 ● 日本古語大辞典 (二巻)、松岡静雄、力江書院
  [ 上代語の「読み」を扱っている。簡約版の 「新編日本古語辞典」 も出版されている。]

 ● 上代語辞典、丸山林平、明治書院

 ● 時代別 国語大辞典 (上代編)、三省堂

 ● 字訓、白川 静、平凡社

 

[ 読みかた ] (2005年11月 1日)

 「上代」 とか 「古代」 と云われている時代が、いつまでの時代を指すのか、という点に関して、いくつかの考えかたがあるが、「平安遷都」 (延暦13年、795年) の頃までを云うようである。古代では、狩猟生活から (水稲耕作を営む) 栽培生活へ生活形態が移行して、共同体的社会が作られ、しかも、血縁関係を重視した氏族的共同体が形成された。そして、氏族的共同体が、次第に、「国家」 (いくつかの共同体が統轄され、小国になって、さらに、いくつかの小国が統一され、「朝廷」 を頂く統一国家が形成される過程) として進化する。
 そういう過程のなかで、栽培生活では、自然に対する畏敬を起点にした 「生産豊饒の祈願」 が生活を送るための底辺であり、「祭り」 が大切な営みであった。「祭り」 では、神聖な 「詞章」 が唱えられた--「詞章」 は、ふだんの生活で使われている語-言語と相違する韻律を与えられ、律文 (同じ文をくり返すこと) 的性質を帯びていた。

 統一国家が形成される過程のなかで、「祭り」 も統轄され、「詞章」 が、次第に、言語表現として整えられ、歌謡や神話が作られる。歌謡や神話は、当初、口頭での伝承 (口伝) を建前としていた。いっぽうで、統一国家が形成され、大陸から漢字が伝来して、歌謡や神話が、文字として記述されるようになった。漢字は、ほかの文化のなかで使われていた語-言語であり、それを、そのまま、適用できないので、(表意文字の漢字を表音的に使用する工夫をして、) 「万葉がな」 が生まれた。
 たとえば、万葉集を例にすれば、以下の記述は 「上代特殊仮名遣」 である。

   熟田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許芸乞菜

 この歌が、どのように読み、だれの作であるか、という点は、高等学校の古文で習ったでしょう。
 古事記・日本書紀・万葉集が現存して、古代に使われていた文字が、豊富な量として遺されています。そういう豊富な用例を通して、「尓」 は 「に」 として、「世」 は 「せ」として、「武」 は 「む」 として使われいることが判断されます。上述した歌は、(現代かなづかい では、) 「にきたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかないぬ いまは こぎいでな」 と読みます。
 ただし、当時、そういうふうに読まれたかどうか (そういうふうに発音されたかどうか) という点は実証できない。ひょっとしたら、中国語的な字音読みだったかもしれない。

 古代国家は、大陸の国家制度を仰いで作られ、「朝廷 (天皇)」 を中核とした律令制度を導入しました。そうした 「国家意識の芽生え」 として、古事記・日本書紀・風土記が、神話・伝記の集大成として作られました。また、歌謡から派生した 「和歌」 が、万葉集として、まとめられました。いっぽうでは、漢詩文も作られ、懐風藻のなかに まとめられています。

 国文学を専攻しなかった人たちが、古代文学を 「原文 (上代特殊仮名遣)」 で読むことは、ふつう、しないでしょう。ふつうなら、「現代かなづかい」 として書き下された文を読むでしょう。上代文学を、「文学」 として鑑賞するか、それとも、国語学的に、「日本語の歴史 (成立史)」 として読むか、という点は、読者によって、思いがちがうでしょうね。「原文」 を書き下し文で読もうと思う人は、上述した辞典を揃えなくてもいいでしょう。寧ろ、それぞれの作品に関する上質の研究書を、多数、揃えたほうがいいでしょうね。ただ、たとえば、古事記や万葉集を丁寧に読んでいれば、いずれ、それぞれの語句に関して、詳細な語意を知りたいと思うでしょうし、さらには、セマシオロシ゛- 的に、それらの語意が成立してきた過程を知りたいと思うようになるでしょう、きっと (--ぼくが、そうでしたから)。
 なお、上代文学を国語学的に調べたい人は、以下の辞典も揃えてください (以下の辞典のほかにも、363ヘ゜ーシ゛ に記載した辞典を揃えたほうがいいでしょう)。

    上代仮名遣辞典、金田一京助 監修、五十嵐仁一 編、小学館

 さらに、上代文学を読むためには、「日本人の精神史」 に関する知識を習得しておいたほうがいいでしょう。文学を社会的・思想的な観点に立って体系的に記述した 以下の書物を読んでください (以下の書物のほかにも、315ヘ゜ーシ゛ に記載した書物を読んだほうがいいでしょう)。

    文学に現はれたる我が国民思想の研究 (全8冊)、津田左右吉 著、岩波書店

 




 

 ▼ 古辞書

 われわれ シロート が入手しやすい古辞書を選んでおいたので、古本屋で入手して下さい。

 ● 新撰字鏡 [ 昌平年間に成立。]

 ● 倭名類聚抄 [ 承平頃に成立。]

 ● 類聚名義抄 [ 長和から嘉承までの間に成立。]

 ● 伊呂波字類抄 [ 長寛ころに成立。]

 ● 下学集 [ 元和三年刊。]

 ● 節用集 [ 室町時代の中期ころに成立。]

 ● 日葡辞書 [ 慶長八年(1603)刊。]
  [ 岩波書店から完訳版が出版されている。小生は、この完訳版を使っている。]

 ● 倭訓栞 (上・中・下)、谷川士清 編
  [ 上述の古辞書が揃えられないなら、これだけでも入手したほうがいい。]

 

[ 読みかた ] (2005年11月 1日)

 小生は、以上の辞典を、すべて、所蔵していますが、「日葡辞書」 と 「倭訓栞」 を除けば、いままで、それらを辞典として使ったことがない。
 古辞書の使いかたとして、或る時代の作品を読むときに、その時代 (あるいは、のちの時代でも、その時代に近い時代) に作られている辞典を使えば、当時の語意を 「活き活きと」 示している、という長所があるでしょうね。ただ、作品の時代と辞典の時代が、そうとうに離れていれば、辞典 (古辞書) が示している語意の信憑性は低いでしょう。そうであれば、(書誌学・文献学という研究が整って、それらの研究成果を導入している) 現代の辞典を使ったほうが、正確な語意を記述しています。
 そういう意味では、古辞書は、作品を読むために使う辞典ではなくて、あくまで、作品と同列として、読み物でしょうね。

 国文学の専門家でないかぎり、あるいは、辞書 マニア (好事家) でないかぎり、一般の人たちが、以上の古辞書を所蔵することはしないでしょうね (ちなみに、小生は、「読書案内」 をご覧いただいて想像できるように、「辞書 マニア」 です--笑)。

 「日葡辞書」 と 「倭訓栞」 を使うときも、現代の辞典を併用しています。
 「倭訓栞 (わくんのしおり、あるいは、ワクンカン とも)」 は、江戸中期の国学者 谷川士清 (ことすが) が編した国語辞書です。「凡例」 には、「此書ハ、平田氏篤胤大人の家に蔵せらるる、伴信友うしの校正書入せられし倭訓栞を基として、今の伴氏ハ かねて知る人なるをもて、請て出版せり、」と記述され、序文は、本居宣長が綴っています。現在普及する活字本は,1898年に、井上頼圀・小杉榲邨 (すぎむら) 刊の前・中両編に対して、べつの辞書 3種を付録した 「増補語林和訓栞」、および 野村秋足校訂の前・中・後 3編 (1899年刊) です--小生が所蔵している版は、「増補語林和訓栞」 です。

 序文・編者 (本居宣長、谷川士清) から判断して、国学系に偏っているのではないか、と小生は思っていたのですが、専門家 (山田俊雄氏、「世界大百科事典」の収録文) によれば、「所収語の範囲は広く,全体として均衡のとれた穏健な説明がある。見出し語を五十音順 (ただしオ・ヲの所属は現在と異なる) にならべる点では,近世の辞書としては珍しい。」 とのことです。ただ、現代の辞典を併用しないと、和訓栞 (「増補語林和訓栞」) の記述のみでは、現代人 (国文学を専攻しなかった人たち) が語意を理解することはできないでしょう。たとえば、「おかし」 は、以下のように、記述されています。

     [ 上段 ]
     おかし 字鏡、偉 (慶也悦也歌也幸也福也於也、加志又字禮志)、源帚木 かたちおかしく打たほどき、
     わかやかにて、同、かたかたにてもいかが思ひの外におかしからさらん、同帚木、おかしけなるさふらひ
     わら、○ 同乙女、おかしやかにけしきはみ、同槙柱、大将のおかしやかにわらしかなる、○ 同、おのつ
     からかしこまりもたかす 同、こよなきとたへおかす、さるものにしなして、

     [ 下段 ]
     萬葉集にみてづからおかしたまひといふハかし反き置の義也

 まず、例文が的確なことに驚きますね--現代の 「糊鋏式な、下手な」 古語中辞典 (古語大辞典の記述を、簡略し転載した、例文の少ない中辞典) に比べたら、「増補語林和訓栞」 のほうが役立ちます。そして、これらの文を読めば、「おかし」 の語感を知ることができるのですが、江戸中期 (そして、増補された明治時代) の研究に比べたら、現代のほうが研究は進んでいますので、かならず、現代の、ちゃんとした辞典を併用して、対応する語句を調べてください。
 というのは、「増補語林和訓栞」 の記述 (「おかし」 の語意) を、どうも、そのまま、信用することができない、と思われるからです。というのは、「増補語林和訓栞」 の例文は、字鏡と源氏物語を出典にしていますが、「をかし」 が記述の中核になっている文献 (作品) は、枕草子でしょう。「をかし」 は、源氏物語では、660回ほど使われ--それに対比して、「あはれ」 が、1000回ほど使われて--、枕草子では、「をかし」が 400回ほど使われ、「あはれ」 が、なんと、たったの 70回ほどしか使われていない--そういう研究は、たとえば、「古典対照語い表 (宮島達夫、笠間書院)」 (主要な古典作品で使われている語彙の頻度を比較した文献) に示されています。源氏物語が 「あはれ」 の文学であり、枕草子が 「をかし」 の文学である、と云われる所以でしょうね。「増補語林和訓栞」 では、出典に偏りがあるようですね。

 「増補語林和訓栞」 では、「おかし」 の語意は、「笑うべきである、滑稽である、珍奇である」 としています。そして、「をかし」 の欄では、以下のように記述しています。

     [ 下段 ]
     をかし 可笑の事をいふよて 眞名伊勢物語に此字をよめり東鏡に事咲をことをかしとよめり新撰字鏡
     にハ可咲をあなをかしとよみ見醜貌と注せり (以下、略)

 「増補語林和訓栞」 では、「をかし」 に関して、枕草子が使っている語意を記載してはいない--「春はあけぼの」 が 「いとをかし」 という意味を、「増補語林和訓栞」 の語意では読めない。「増補語林和訓栞」 の語意が 「おかしい」 ことを、(「読書案内」 のなかで、前回、記載した) 「重要古語小辞典」 は、以下のように、指摘しています。

     「をかし」 は中古文学の美的理念の 1つであって滑稽・珍奇なのではない。しかし、「をかし」 と
     「おかしい」 のけじめを余りはっきりつけるのは危険である。「おかしい」 としか訳せない 「をかし」 の
     例も少なくないからである。中古語の中で、情趣をいう 「をかし」 とは別に、滑稽・珍奇に関して
     「おかし」 という別の語もあったのかもしれないと想像した近世の国学者がいるが、事実は当たって
     いない。

 この「近世の国学者」 というのは、「和訓栞」 の編者であろう、と小生は想像しています。
 枕草子のなかにも、「をかし」 が 「滑稽である」 という意味で使われている例文も、(「重要古語小辞典」 が述べているように、) たしかに、出てきます。たとえば、(前回 記載した 「例文通釈 古語辞典」では、枕草子のなかから、典型的な例文として、) 「げにさぞありけむと、いとほしくもをかしくもあり」 が出てきます。ちなみに、「例文通釈 古語辞典」 では、「をかし」 の典型的な例文として、ほかにも、徒然草から、「遣水より煙の立つこそをかしけれ」 (趣がある) を記載しています--徒然草に記載されている この例文は、出典を隠して、記述されている作品を想像すれば、枕草子を想像する人たちが多いかもしれないですね (笑)。ちなみに、「和訓栞」 が例文の出典としている新撰字鏡を小生は所蔵しているので、小生は、新撰字鏡も調べました。「重要古語小辞典」 は、以下のように、「をかし」 を記述しています。

     「をかし」 は 元来 「をこ (馬鹿)」 の形容詞化であり、現代語 「おかしい」 があらわしている感じ
     は、この語に終始つきまとっていたのである。作品・作者、そして個々の用例によって、その感じに
     濃淡の差があり、中古文学の多くでは、美的情緒的な方に傾斜する用法が目立っていたという
     ことであろう。そうした例の代表は枕草子である。

 さて、いままで述べてきたことを読めば、古辞書の使いかたが、どうあるべきか、という点を ご理解いただけたと思います。
 辞典の使いかたは、単純に言い切ってしまえば、古辞書にかぎらず、1つの辞典を鵜呑みにしない、ということです。

 




 

 ▼ 百科事典

 ● 嬉遊笑覧、喜多村信節 著、文政13年。
  [「日本随筆大成」(吉川弘文館)の別巻(全4巻)で入手できる。]

 ● 守貞謾稿、喜多川守貞 著、嘉永6年。
  [ 東京堂出版で入手できる(全5巻)。]

 ● 和漢三才図会 [ 正徳二年成立。]
  [平凡社の「東洋文庫」で入手できる(全18巻)。]

 

[ 読みかた ] (2005年11月 1日)

 使いかた (読みかた) は、前述した 「古辞書」 と同じ。
 かならず、現代の有職故実辞典を併用してください。

 



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