● 思想の花びら | way out >> |
職業と労働と成功 | 芸術と学問と勤勉 | 友情と恋愛と家庭 | 自然と文化と衣食住 | 生と死と信仰 |
愛 とは 有島武郎 (小説家) |
利は行為或は結果を現わす言葉で、愛は動機或は原因を現わす言葉である。 |
命がけ とは 西行 (歌人) |
惜しむとて惜しまれぬべき此の世かは身を捨ててこそ身をも助けめ。 |
自惚れ とは ラ・ロシュフコー (批評家) |
自分のなかには、世間の人が みな いなくともやっていけるだけのものがあると信ずる人は 大いに誤っている。だが 自分がいなければ世間は やっていけないと信じる人は、さらに誤っている。 |
英雄とは 芥川龍之介 (小説家) |
どうか英雄とならぬように----英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守り下さいまし。 |
英雄とは 保元物語 (軍記物語) |
烏滸 (をこ) の高名は為 (せ) ぬに如かず。 |
臆病とは シェークスピア (劇作家) |
魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり、 「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱりだめだ」の 腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過ごしなさる おつもり? (「マクヘ゛ス」) |
顔とは 森鴎外 (小説家) |
おれなんぞの顔は閲歴がだんだんに痕を刻み付けた顔で、親に生み付けてもらった顔とは違う。 |
官僚的とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
一切を他人事として、「客観的」 に論ずる、かゝる態度を私は官僚的とよぶのであるが、今日の官僚よりも、今日の評論家思想家の方がよほど官僚的になりつゝあるのは注目すべき現象だと思ふ。
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企画とは ラ・ロシュフコー (批評家) |
大きな仕事を企てる場合には、機会をつくり出すことよりも、目前の機会を利用するように努めるべきである。 |
矜持とは セルバンテス (小説家) |
どんな虫っけらだって、踏みつけられりゃあ、何を! という かっこう をするもんだ。 |
愚痴とは モンテルラン (小説家) |
文学上の仕事にはかならず、敗北者のみっともない泣きごとがつきものだからいやになる。スホ゜ーツ には泣きごとがない。 |
経験とは ゲーテ (詩人) |
じぶんが経験したことは、理解もしている、と思いこんでいる人間が沢山いる。
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経験とは ホフマンスタール (詩人) |
「経験」 の概念に関しては二種類の不愉快なひとびとがある。経験のないひとびとと、経験をあまりに自慢するひとびとと。
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決断とは 幸田露伴 (小説家) |
ことを決する元来癰 (よう) を截 (き) るがごとし、多少の痛苦は忍ぶべきのみ。 |
賢明とは ラ・ロシュフコー (批評家) |
一つも馬鹿げたことをしないで生きている人間は、かれ自身で考えているほど賢明ではない。 |
行動とは ユゴー (批評家) |
私の趣味は貴族的で、私の行動は民主的である。 |
行動とは 貝原益軒 (儒学者) |
知つて行はざるは知らざるに同じ。 |
行動とは 武田信玄 (戦国時代の武将) |
為せば成る、為さねば成らぬ成る業 (わざ) を、成らぬと捨つる人のはかなさ。 |
行動とは スピノザ (哲学者) |
自分にはできないと考えている間は、ほんとうは その事をやりたくないと心に決めているのである。したがって その事は実行されはしない。 |
行動とは クィンティリアヌス (修辞学者) |
事をおこなうにあたって、いつから始めようかなどと考えているときには、すでにおくれをとっているのである。 |
幸福とは ラッセル (哲学者) |
一貫して変わらない目的を持つことだけでは、人生を幸福にする訳にはいかないのかもしれない。しかし、そういう目的は、多くの場合、幸福な人生を送るための不可欠な条件の1つである。そして、一貫して変わらない目的が、具体的に実現されるのは、主として、仕事によってである。 |
幸福とは ベンジャミン・フランクリン (政治家) |
幸福になるためには、二つの道がある。 欲望を減らすか、持ち物を ふやすかである。 どちらでも よろしい。 |
幸福とは アンドレ・モロア (評論家) |
人間は同一の方法によって永遠に かれの岩を ふたたび よじ登らなければならない。定着点の周囲を巡る この振子の運動が人生なのである。この定着点の存在を確信することが幸福なのである。 |
功労とは 福沢諭吉 (教育家) |
政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬと言うから、私はじぶんの説を主張して、「誉めるの誉められぬのと全体 ソリャ 何の事だ、人間が人間当前 (あたりまえ) の仕事をして居るに何の不思議はない、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐を拵 (こしら) えて書生は書を読むと云うのは人間当前の仕事をして居るのだ、其仕事をして居るのを政府が誉めると云うなら、先ず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンナ 事は一切止しなさい」 と云って断ったことがある。 |
個性とは モンテーニュ (思想家) |
私はじぶんの人生をつくり上げるために努力して来た。 それが私の職業であり、仕事であった。 |
個性とは 有島武郎 (小説家) |
凡ての矛盾と混沌の中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に値ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。
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個性とは 有島武郎 (小説家) |
私はまた平安を欲すると共に進歩を欲する。潤色 (Elaboration) を欲すると共に創造を欲する。平安は既存の事態の調節的持続であり、進歩は既存の事態の建設的破棄である。色は在るものをよりよくすることであり、創造は在らざりしものをあらしめることである。私はその一方にのみ安住しているに堪えない。私は絶えず個性の再造から再造に飛躍しようとする。しかるに智的生活は私のこの飛躍的な内部要求を充足しているか。
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滑稽とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
自分の身上を忘れた花ほど滑稽なものはあるまい。 ハ゛ラ が美しいからといって、もし大根が ハ゛ラ の花をつけてみせたら人々は笑い出すだろう。鑑賞用にもならず食用にもなるまい。ただし、見せものにはなる。 |
困難とは 後漢書 (二十四史の一つ) |
盤根錯節に遇はざれば、何を以て利器を別 (わか) たんや。 [ 困難なことにぶつかってはじめて、そのひとの本当の ちから がどういうものかが わかる ] |
財産・生業とは 孟子 (思想家) |
恒産なくして恒心ある者は、ただ士のみこれをよくす。 民の如きはすなはち恒産なければ因て恒心なし。 |
才能とは サント・ブーヴ (文芸批評家) |
大部分の人たちの才能は、おしまいには一つの欠点となるものだ。 老人になるにつれて、この欠点は ますます顕著になってくる。 |
叱るとは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
きびしい叱責の声を聞くことが稀になりつつある。教育においても、芸事においても、労働においても。その原因はおそらく熟練性の喪失にある。大量生産の傾向からは、責任ある叱責の声は起こらない。同時にそれは人間への信頼感の喪失でもある。 |
仕事とは アウソニウス (詩人) |
たいへんな仕事だと思っても、まず、とりかかってごらんなさい。仕事に手をつけた、それで半分の仕事は終わってしまったのです。ところで、まだ後半分が残っていますね。もう一度、とりかかってごらんなさい。それで、ほら仕事はでき上がってしまいましたよ。 |
仕事とは シェークスピア (劇作家) |
ほどよい頃に起きて、好きな仕事を、愉快にやりにいこう。 |
仕事とは ユゴー (小説家) |
思いに耽けることは禁物。長く時間のかかる仕事にうち込むことである。たゆまぬ仕事の習慣ほどいつも利益するものはない。それは魂を麻痺させる阿片からわれわれを救ってくれる。
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仕事とは ヒルティ (哲学者) |
人間の幸福の最大部分は、たえず継続される仕事と、これに基く祝福とから成っている。そしてそれが、最後に仕事を愉楽に変ずるものである。人間の心は、その真正の仕事を見出したときほど、愉快な気分になることはない。諸君は幸福でありたいと希うならば、何よりもまず仕事を始め給え。失敗の生涯はたいてい、そのひとが全然仕事を持たないか、仕事が少なすぎるか、あるいは正当な仕事を持たぬということにその根本原因がある。ただしわれわれは、仕事をば、じぶんの仕える偶像にしてはならない。むしろ仕事をもって真実の神に仕えねばならぬ。これを顧みないひとは皆、老年に至って精神あるいは肉体の錯乱衰弱いおちいるのである。
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思索とは ナポレオン 一世 (フランス 皇帝、軍人) |
私は つねに仕事をし、非常に瞑想します。私が、いつも すべてのことに答え、すべてのことに直面しようと待ちかまえているように見えるのは、何かをくわだてる前に、長い間瞑想し、起るかもしれない事を予見しているからです。他人にとって思いがけない場合に、じぶんの言うべきことなすべきことを、突如として啓示してくれるのは天才ではなく、熟慮であり、瞑想なのです。私はつねに仕事をします。晩餐のさいにも、劇場でも。夜は、目がさめると仕事をします。
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自信とは カーネギー (実業家) |
自分は有用の材であるとの自信ほど人にとって有益なものはあるまい。
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自尊心とは ヴァレリー (詩人) |
もっとも激しく もっとも必然的な憎しみは、われわれが成りたいと思っているものに すでに 成っている人間に向けられる。 |
自尊心とは 清少納言 (女流文学者) |
人には一に思はれずは、更になにかせん。 |
実績とは 細川頼之 (室町時代の武将) |
人生五十 功なきを愧 (は) づ。 |
実績とは ショーペンハウアー (哲学者) |
若い頃には、人生行路における重要な成果の多い人間は、鳴り物いりで はなばなしく登場するだろうと誤って思いこんでいるものだが、老齢になってから振り返って観察してみると、そういうものはすべて、とても静かに、裏口を抜けて、ほとんど気づかれずに忍びこんできたものであることがわかる。 |
失敗とは プーシキン (詩人) |
失敗の達人というものはいない。ひとは誰でも失敗の前には凡人である。 |
自慢とは 沢木興道老師 (禅僧) |
どっち向いて偉んだか。 |
自慢とは 沢木興道老師 (禅僧) |
金持ちを自慢する奴やら、 地位を自慢する奴やら、 サトリ を自慢する奴やら。 このごろの者は アタマ が悪いかして、 よう凡夫たることを披露しよる。 |
借金とは プーシキン (詩人) |
借金は返してこそ美しい。すべての債務も同様である。 |
集中力とは キケロ (政治家、哲学者) |
善い結果を得るためには、生来の才や手腕に頼るよりも、 ただ一つの仕事に、終始、専心没頭することが大切である。 |
商業とは 中江兆民 (思想家) |
おもふに商業なるものは山師的営業にあらずして信用的正業なり。それ信をもつて本尊とするは商業の右に出づるものあらず。 |
情熱とは アラン (哲学者) |
が、また あらゆる情熱には野心が存する。 |
商売とは 井原西鶴 (小説家) |
福福祈る商人の家に世の無常を観じ人のなげきにかまふ事なかれ。 |
商売とは 二宮尊徳 (篤農家) |
商法は、売りて悦び、買ひて悦ぶ様にすべし。 売りて悦び、買ひて喜ばざるは、道にあらず。 買ひて喜び、売りて悦ばざるも道にあらず。 賃借の道も亦同じ。 借りて喜び、貸して喜ぶ様にすべし。 |
商売とは 二宮尊徳 (篤農家) |
汝売買をなすとも必ず金を設 (まう) けんなどと思ふべからず。只商道の本意を勤めよ。 |
商売とは 中江兆民 (思想家) |
それ商徳とも称すべきは機敏と信用と耐忍との三の者なり、然れども之を口に知りて心に知らざるの輩世間甚だ多し、(略) この三徳具はりて始めて真商の冠詞を蒙らしむことを得べし。 |
商売とは ゴーリキー (小説家) |
取引は戦争も同じで、生きるか死ぬかの勝負である。相手の財布に じぶんの生命をかける戦争である。 |
処世術とは アラン (哲学者) |
処世術というものは、なによりもまず、じぶんのした決心やじぶんのたずさわっている仕事について文句を言わないことだろう。 |
処世術とは シュランベルジェ (小説家) |
世のさまざまな享楽や虚栄の満足を棄て去り、じぶんの好むことにのみ専念するという最高の贅沢をじぶんに与えること、この選択こそ、極めて思慮のある処世術であろう。 |
真価とは 夏目漱石 (小説家) |
鍍金 (めつき) を金に通用させようとする せつない工面より、真鍮を真鍮で とおして、真鍮相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。 |
スローガンとは 亀井勝一郎 (批評家) |
明確に、端的に行動する場合には、いかに多くのものを切り捨てなければならないか。つまり行動というものは、ある種の無知を必然に伴うものではなかろうか。スローガン の影響力が大きければ大きいほど行動は単純化されるが、同時にそこで抹殺されるものも多くなるのである。(略) スローガン は、人間の思考力を極端に省略するということだ。これは政治的 スローガン だけの問題ではない。現代ではあらゆる部門において、知識の吸収の仕方が便宜的になり、簡単な要約、あるいは分類限定などによって、すべてのものが省略のかたちであらわされている。我々が知識と思いこんでいるものも、スローガン 的な性格を帯びているかもしれない。 |
生活とは モンテーニュ (批評家) |
もっとも美しい生活とは、私の信ずるところでは、普通の人間らしく模範にならった生活のことである。整然とした、だが奇跡を望まず、自然に逆らわない生活である。
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成功とは ドストエフスキー (小説家) |
神を信ずるためには、神がなければならない。 成功を望むならまず目的を決めなければならない。 |
成功とは ツルゲーネフ (小説家) |
用心と忍耐、この二つを守りさえすれば成功は間違いない。
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成功とは ヘンリー・フォード (実業家) |
もしも世のなかに成功の秘訣なるものがあるとすれば、それはよく他人の観点をとらえて、じぶん自身の立場からではなく、他人の立場から物事を見ることのできる才能そのものにほかならぬ。
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成功と失敗とは ドストエフスキー (小説家) |
人生で いちばん大事なことは、失敗したら じっと歯をくいしばって我慢をし、成功しても すぐに有頂天にならないことだ。
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成功と失敗とは トルストイ (小説家) |
清い心をもった人間はこの世で成功することはない。
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責任とは サン・テクジュペリ (小説家) |
偉大さとは自己の責任を感じることである。──自己の仕事を基準として ひとびとの運命に なんらかの責任を感じることである。 |
先入観とは アラン (哲学者) |
パルザック と スタンダール が見付けたことは、あたまのいい読者にはあまりに単純に見える。だが、うれしいことに、あの二人には、それが単純なものではなかった。というのも、人間の持ちまえの愚かさから出発して考えたからだ。彼らはおのれの生を解きほぐしていったのだ。これは私の考えだが、彼らはつねに一から始め、また、何事に関しても、あらかじめ理解しているということをしない。 |
退屈とは ツルゲーネフ (小説家) |
その多くは われわれには どうにもならない出来ごとについて、考えたり、語ったりすることが なんで おもしろいのだろうか ?
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妥協とは 亀井勝一郎 (批評家) |
悪魔は、人間を決していきなり堕落させない。「現実的なるもの」 が人間に迫る第一のことは、まず妥協することである。人間は屈伏することを好まない。彼の自尊心はそれをゆるさない。しかも彼を屈伏させる一番いい方法は、屈辱感を与えることなしに屈伏させることだ。(略) 妥協とは自分の理想が完全に受入れられないが幾分かは受入れられ、それで一応の面目が立つという状態を指すのである。
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地位名声とは アラン (哲学者) |
彼が アカデミー 会員に選ばれ、会員席の立派な椅子に坐ると、ごくしばらくのあいだは、手のたしかさ、てのしなやかさを、思い出したようにとり戻るが、ほどなくそれを失う。ペン を王笏 (おうしやく) みたいに構えてにぎるから。 人を小馬鹿にした態度、地位名声を得るとすぐさま生まれるあのおろかさは、筆致に重くおしかかる。輪郭はきちんと取れていても、デッサン は卑俗になる。 |
チャンスとは カーネギー (実業家) |
好機に出会わない人間なんぞ一人もない。 それを捕ええなかったというまでだ。 |
忠告とは チェスタフィールド (政治家) |
忠告はめったに歓迎されない。 しかもそれをもっとも必要とする人が、それをもっとも嫌悪する。 |
忠告とは 孔子 (儒家の祖) |
信ぜられて後に諫 (いまし) む。未だ信ぜられざれば、以て己を謗 (そし) る。 |
忠告とは 孔子 (儒家の祖) |
成事は説かず。遂 (すい) 事は諫 (いさ) めず。既往は咎 (とが) めず。 |
道徳とは ジューベール (人生批評家) |
きみが貧しいなら、徳行によって、名を挙げよ。きみが金持なら、慈善によって、名を挙げよ。 |
賭博とは 芥川竜之介 (小説家) |
古来賭博に熱中した厭世主義者のないことは如何に賭博の、人生に酷似しているかを示すものである。 |
貪欲とは アラン (哲学者) |
貪欲家は、事物よりむしろ自分の権利を楽しむ。他人の同意を強いる動かしがたい勝利の確立、これが貪欲家に固有の勝利なのだ。(略) 所有や利用を享楽し、富や力を得る、言ってしまえば、見かけの権利を粧っているので、これが彼らをだます。(略) 見せびらかしたい権利だ、だがじつは彼がいちばん持っていないのが権利なのだ。(略) こういう種類の人間については、これだけ述べれば充分であろう。病気からなおりたかったら、自分が軽蔑されていることを知るがよい、自分が仲間だけの社会を作っていることを知るがよい。 |
成り上がりとは アラン (哲学者) |
成熟してくると、自分についての確信、いろいろな事物に対する軽蔑や無関心な態度が見とおしのよくきいた精神に働きかける。(略) 成り上がり者は、自分のたどってきた道を忘れることができないものだ。 |
ニセモノ とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
にせものは、美しさをおもてにあらわそうとしてつねに焦っている。 だからどんなに巧みに「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。人間はこれに弱いのだ。 |
人間とは アダム・スミス (経済学者) |
人間とは取引をする動物である。犬は骨を交換しないのだ。 |
人間とは プーシキン (詩人) |
人間は、金銭を相手に暮らすのではない。 人間の相手は、つねに、人間だ。 |
判断とは プーシキン (詩人) |
判断を焦ってはならない。一晩眠れば良い知恵がでる。 |
判断とは ジューベール (批評家) |
人は行動する時には諸々の規則に従わなければならないが、判断を下す時には諸々の例外を考慮しなければならない。 |
無心とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
あらゆる仕事において最上の境地とは、無心ということである。奉仕しながら、奉仕しているような顔をせず、熟練しながら、熟練しているような顔をせず、額 (ひたい) に汗を流して夢中で働いている時が人間の最も崇高な生である。 |
野心とは シラー (詩人) |
野心の誘惑に のるな。 |
野心とは アラン (哲学者) |
神の職業はむずかしいものではない、まにあうだけの威厳さえ備えていればよいのだ、そして大なり小なりの恩恵を人々に期待させていればよい。神さまを作るのは、礼拝者たちだ。彼らの側に、神さまの気に入るものがなくなったらどうしようという美しい恐怖があれば充分である。気楽さとか率直さとかいうものは、たとえ単なる礼儀に由来したものでも、野心の苦しみをへらす、がまた、楽しみもへらす。これに反して、野心に少々野蛮さが加わると、野心の成功もめざましくなるが、惨憺たる敗北も味わう。(略) 志願者や俳優などの恐怖もそこからくる、とくに俳優に固有な恐怖はみとめられたいと思うところからきている。
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野心家とは ヒルティ (哲学者) |
あらゆる野心家のうち、教養ある者が最も不幸である。かれらが、まだ攀 (よ) じ登ろうとする梯子の下段にあるときは、上段い立つひとに対する嫉妬にさいなまれる。これはあらゆる感情のなかの最も惨めなもので、いちばん卑しいものに見える。かれらが梯子のやや上段に立つならば、後進者にたいする恐怖の念に絶えず苦しめられる。のみならず、成功の機会もまたけっして多くはない。十人の野心家のうち、たかだかひとりがその希うところの目的を達するにすぎぬ。
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野心家とは アラン (哲学者) |
野心家というものは、類のない幸福が手にはいると思って、つねになにものかを追いまわしている。だがその男の主な幸福は忙しいということである。
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欲望とは ゲーテ (小説家) |
重要なことは、われわれは一つの大きな欲望を持っており、またそういう欲望を実行にうつすべき運命と辛抱強さを持っているということである。それ以外のことはすべて、どうでもいいことなのだ。 |
欲望とは 司馬遷 (歴史家) |
利は智をも昏 (くら) からしむ。 |
労働とは 幸田露伴 (小説家) |
其日 (そのひ) に自分が為 (や) るだけの務めを為 (し) て了 (しま) ってから、適宜 (いいほど) の労働 (ほねおり) を仕 (し) て、湯に浴 (はい) って、それから晩酌に一盃飲 (や) ると、同じ酒でも味が異 (ちが) うようだ。これを思うと労働 (ほねおり) ぐらい人を幸福にするものは無いかも知れないナ。 |
労働とは トマス・デッカー (劇作家) |
せっせと働け、せっせ、せっせ、せっせと、正直に働くと愛らしい顔になる。 |
労働とは ビュルガー (詩人) |
私の格言はこうだ──神を信じ、けなげに働き、まっすぐに生きよ。 |
若さ とは 謡曲 (「磁石」) |
若い時旅をせねば、老いての物語がない。 |
悪口とは ヴァレリー (詩人) |
きみの悪口を言って攻撃する人間は、実は ひそかに 自ら慰めている人間に すぎない。 |
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