思想の花びら 2010年10月 1日


 ●  ドストエフスキー (小説家) のことば

  いま私はやっと五十五歳でまだ男の部類に属するが、これから先二十年くらいはまだまだ男の部類にはいっていたいものだ。だがそんな汚らしい老人には、だれも喜んで寄りそってはくれないだろう。さてそこで必要になってくるのが金である。 (「カラマーゾフ の兄弟」)

 



 ●  有島武郎 (小説家) のことば

  人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命がある対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、もしくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。(略) 虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。(略) 分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉 (ちしつ) することはできぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思いもよらない。

 


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