思想の花びら | 2011年 7月16日 |
● ジード (小説家) のことば
誠実は、芸術においては、それが努力の末ようやく認められたときでなければ、私には無縁である。じぶんの個性の誠実な表現にたやすく到達し得るのは、きわめて平凡な魂の持主だけである。なぜならば、新しい個性は、新しい形式のなかにしか、誠実に自己を表現することはできないからである。
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● 有島武郎 (小説家) のことば
基督は 「汝等互にさばくなかれ」 といった。その言葉は普通受け取られている以上の意味を持っている。何故なら愛の生活は愛するもの一人にかかわることだ。その結果がどうであったとしたところが、他人に絶対にそれを判断すべき尺度を持っていない。しかるに知的生活においては心外に規定された尺度がある。人は誰れでもその尺度にあてはめて、ある人の行為を測定することができる。だから基督の言葉は知的生活にあてはむべきものではない。基督は愛の生活の如何なるものであるかを知っておられたのだ。ただその現われにおいては愛から生れた行為と、愛の真似から生れた行為とを区別することが人間にとっては殆ど不可能だ。だから人は人をさばいてはならぬだ。しかも今の世に、人はいかに易々とさばかれつつあることよ。
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