批評家は寛大にしてもらう権利がある。いつも人のことばかり言っていて、じぶんのことはけっして言ってもらえないのだから。
自我の確立はたしかに近代精神の一つの特徴であるが、同時に我々が一番忘れていることは、その自我を放棄する場ではなかろうか。