思想の花びら | 2017年 9月15日 |
● アラン (哲学者) のことば
幽霊を知覚する誤りは僕らの予想のうちにある。幽霊をみるとは幽霊をだと推測することだ。見える対象から、手を延ばせば、なにか動いているものにさわるだろうと推測することだ。しかし、僕が実際に感じているものはまさしく感じている。その感じているそのことについての学問というものは成り立たない。なぜかというと感じていることには誤りというものがまるでないからだ。僕の感ずることについての研究とはすべて、それはどういう意味か、僕の運動によってそれがどう変化するかというところに成り立つ。と、言えばおわかりだろうか。(略) くわしく言えば、物の真とはその形とか位置とかその他すべての物の特質を定める空間上の諸関係全体にほかならぬ。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
そこ(悩み) での無限漂白がその運命である。だからこそ菩薩なのである。人間として煩悩の消滅することはない。菩薩はそれを 「断」 ずるものであってはならないのだ。むしろ煩悩自体の中に漂いつつ、人間の実相を凝視しつづけようとする永続的な認識能力として、それはあらわれなければならなぬ。
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