思想の花びら | 2018年 4月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
僕らは、夢を語りながらでも、夢をこしらえあげるということも明らかだ。僕らの内部生活は、いつもこういう具合に展開するものだ、いつも物に翻訳された印象からできあがっているものだが、決して完全な知覚には到達しない。到達したら目がさめてしまう。目がさめるとは、まさしく目や手の運動で物の真理を探ることだ、僕らの夢とは、探求の欠如すなわち知覚の欠如と批判の力によるものの実際の出現との間の通路にすぎぬ。この道路で書く怠惰な感想文が僕らの夢だ。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
自分 (法然上人) が知識とか教養のためにどれほど迷ひわづらはされてきたか。はたして自分は念仏を唱へながら心安らかに死ぬことができるかどうか。自分に対して疑つてをつたにちがひないと思ふのです。
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