思想の花びら 2018年 4月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  時間の記憶が場所の記憶にしっかり結びついている。(略) 僕が僕であるのは、さまざまな真実な知覚の唯一の連続による。(略) 僕のこの世によって自分自身を考えるにすぎない。外界の物の存在を証明するには自意識というものでたりる、と、なかなかむずかしい定理だが、カント は言っている。主観的な外見をもった生活から、真実の物にいわば飛び移る道はないが、反対に、外観というものが姿をあらわすには、真実の物によらなければならない。そういうことが カント は言いたかったのだ。たとえば遠近といっても、実際の或る立方体ではなく、あるがままの立方体を僕が考えていることを仮定している。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  つまり自分が絶対的に信頼し、その人に従ふ、さういう先生を持つてをつた、あるひはさういう経験といふものが人生のある時期にあつたとしたならば、それを息をひきとるときに、思ひ出すべきではなからうか。親鸞聖人の教へから申しますと、それが念仏です。念仏申さんと思ひ立つ心の起こるときといふ、心の底のなかのいちばん微妙なものに、聖人は注目したわけですが、しかしさういふ言葉のその背後には、いま申し上げました邂逅と開眼と信従といふ、そこからくる動かしがたい思ひ出といふものが、つねにまつはりついてをつたであらうと私は思ふのです。

 


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