思想の花びら 2018年 8月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  遅くなったり早くなったり曲がったりしない運動はまずない。厳密にいえばそんなものは全然ない。斉一運動とはただ惰性に殉じて作りあげたものである以上、一つの観念だ、何物にも連絡のない運動である、だからそんなものはどこにもない。しかし、悟性はこれを要素として設ける。つまりそれが力学の権利だ。ここから、この世でなにものも捕らえない速度というものが定まる。(略) 根源は一つだが、こういうさまざまな形式、恐らくもっとほかにいろいろの形式が必要だが、こういう諸形式がなければ、線も円も持たぬ牧人が、天体の外見を定めることができないように、僕らは、最も単純な実際の運動さえつかむことができない。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  実際に仏典をよみ聖書をひもどいた折の感慨、またわが古仏の前に佇んだ時のいつはらぬ心情からものをかくべきであらう。日本の伝統はたゞ説明すればよいといふものではない。その語り方、表現の仕方のうちに、情操や恥らひの心を欠いた蕪雑な正体が曝露するものだと知るべきである。一夜漬で古事記や万葉集をよんで器用に引用したりする悲しむべき小才が我らに共通の病弊なのではなからうか。

 


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