思想の花びら | 2018年12月 1日 |
● アラン (哲学者) のことば
「なんの目的で」 からいかにしてに移る、つまり、さまざまな原因と条件との探究に移る。(略) 幾何学やその他の諸形式に準じて建て直した知覚を、決して忘れないようにしているなら、神学上の観念も、少なくとも指導観念として別に悪いことはない。神が飛翔のために翼を作った、と言って安心している人の精神には、ただ言葉があるだけだが、もしその人が、どういう具合に翼が飛翔のために有効かということを承知しているなら、いわゆる諸原因をきわめて物を理解していることになる。神という作者を一枚加えてみたところで、物についてもっている考えがなに一つ変わるわけではない。(略) 物において、目的を原因に結びつけるものは、まさしく効用の考えだ。仮定された効用とは目的であり、説明された効用とは原因あるいは法則、また、お望みなら説明された物自体ともよばるべきものだからだ。
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● 亀井勝一郎 (批評家) のことば
精神が生存するためには、絶えず自己弁護しなければならぬとは何といふ悲劇であらう。(略) 効用性の宣伝によつて保身する信仰こそ贋物であらう。たとへその効用性が精神のいかなる高貴性を説いたものであつても。
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