思想の花びら 2019年 1月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  法則のない運動は運動とはいえない。もう充分に述べたことだが、運動を知覚するとは、一定不変の運動体という考えと連続的に変化する距離という考えとによって変化を整理することだ。最も簡単な知覚においても、運動とは表象され限定されたものであり、分割できないものである。運動自体が当の変化の法則なのであって、この法則が完全になるに準じて、すなわち間段なく物が動いていった道筋をこの法則が明らかにするに準じて、運動はまさしく運動となる、つまり実際の運動となる、運行する物と他のすべての物との関係が限定されていくわけだから。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  すべてを露はにしなければやまぬ無礼の感覚と、自己宣伝して己の存在を示さうとする焦燥と、信仰にとつておそらくこれ以上の危険はあるまい。しかもこの危険を意識せぬほど感覚の麻痺したところに現代文明の性格がある。(略) 即ち文明の利器が精妙になるに比例して、人間の感覚は粗暴になつて行く。機械が正確にになるにつれて、我々の認識は益々不正確になつて行く。

 


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