思想の花びら 2019年 5月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  まずなにをおいても、言語のたわむれが、どんなにたくみに精神を陥穽に引き入れるかに感心するがよい。言語をつくりだすためには、それがまず理解されていなければならぬ、だから話すことを学ぶまえにまず話すことを知らねばならぬ、という説をなす者がある。こういう議論こそ詭弁の典型であって、話さないでまず考えることを学ばなかった人が、これを哲学と間違える。
  人間の行為、つまり叩くとか与えるとか取るとか逃げるとかいう運動だが、そういう行為というものこそ僕らが世界中でいちばん興味を感じているものだ、子供にとっては世界中で興味を感ずる唯一のものだ、子供の時代では、あらゆる幸不幸は行為に由来するのだから。この行為というものが最初の記号であって、行為を理解するとはまずすなわち行為の効果を試験することにほかならぬ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  おまへに食を保証するから、おまへの魂を売れと云ひうるか。人間の弱点を目安に築かれた原理が、生命の嘆きを癒しうるか。人間は果して人間を救ひうるか。厳密にいへば我らは悲惨な存在である。生きんがためには己が魂を売らねばならぬこともある。パン なくしては生きられない。この事実を無視することは出来ない。しかしその直視から、悲惨の原因を 「物質」 に換算し、さうすることによつて悲惨をもてあそぶことが人間に赦されるか。正に万人の弱点につけこんだのだ。「善意」 と思ひこんで為されたことが、罪悪と気づくには鋭敏な心がいる。

 


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